「オレ様、マ○ラタウン(ばりのクソ田舎)の蛇苺! こっちは手下のブギーモンフェレ」
「ブッブギギー」
その女性の姿をしたデジモンは、汚物系デジモンの投げたウンチを見る時のような――ひょっとすると、それ以下、あるいは未満のモノに向けるような一瞥をオレ様達にくれ、その後は再び、手元の本へと視線を落とした。
「兄貴、兄貴」
ブギーモンは別に自分の名称に使われている文字以外では喋れない訳では無いので、いたって普通に、ただし声を潜めてオレ様の耳元に囁きかける。
いわゆる悪魔の囁きなのだが、オレ様も悪魔なのでただの内輪話だ。
「どうするんスか兄貴。完全にファーストコンタクト失敗じゃないッスか」
「オレ様だってヤメときゃ良かったって思ってるフェレよ。どうして誰も思い付いた時に、具体的に言うと昨日の飲み会の時に止めてくれなかったフェレか」
「みんな酔ってたんスよ。オレ達デジモンなのにその手のネタで攻める兄貴の漢気に、みんなが酔ってたッス」
「へへっ、よせやい、照れるフェレ……じゃなくて」
部下に恵まれたのか恵まれてないのかイマイチわからない自らの境遇に、こんな時どんな顔をすればいいのかわからなくなっていたオレ様だったが、手下は笑ってやり過ごしてくれても肝心のしばらく長期の任務を共にする同僚の態度はクールを通り越して『デジモンゴーストゲーム』第17話仕様。本家は比較的感情が豊かという話だが、目の前の彼女は前髪に若干の類似性が見出せなくはない程度の綾○系だからか。その表情はテンプレじみた『無』を貫き通していた。
とはいえ、過ぎてしまったものは仕方が無い。オレ様は切り替えの早いフェレスモンだった。
「第一印象が最悪」という事は、逆を言えば、それ以上印象が悪くなる事は無い、という意味でもある。
どうせ時間は有るので、好感度は徐々に上げていけばいい。ステップアップのためのハードルが低い所から始められると思えば、「自己紹介でサムいギャグかまして滑ったイタいフェレスモン」からオレ様の伝説が幕を上げるというのもけして悪くは無い。
ご機嫌麗しゅう我が同士。オレ様は「自己紹介でサムいギャグかまして見事に滑ったイタいフェレスモン」こと蛇苺だ。「自己紹介でサムいギャグかまして見事に滑ったイタいフェレスモン」の蛇苺をよろしくな。
……わりぃ、やっぱつれぇわ。
「……まあ、用は済んだから持ち場に戻っていいフェレよブギーモン」
「ウッス。じゃ、兄貴も頑張ってくだせぇ」
「うい……」
「自己紹介でサムいギャグかまして見事に滑ったイタいフェレスモン」に巻き込みで事故をもらったブギーモンは、だというのに嫌な顔一つせず、言われた通り、警備のために『城』の方へと戻って行く。
やはりオレ様には過ぎた配下だ。
別にオレ様自身気苦労が増えるだけの出世などしたくはなかったのだが、こればっかりは、進化してしまった以上は仕方の無い事だった。
いくら宮仕えの身とはいえ、過酷なダークエリアにおいて完全体というのは、それだけで、割合貴重なので。
ブギーモンのプリケツが見えなくなるまで見送って、今度こそ他にする事も無くなってしまったオレ様は、意を決して再び女性の姿をしたデジモンの方へと向き直る。
白い長髪に、橙色の瞳。タイトな赤いドレス。多少色白が過ぎるが、それでもレディーデビモン程では無い。
本来なら帽子とサングラス、それから靴と手袋が、この種族が人間に化けている時はお得なセットとして付いてくるらしいのだがそれらは見当たらない。代わりに、と言うのもおかしな話ではあるが、左の足首が、地面に打ち込まれた杭に鉄の足枷と鎖で繋がれていた。
彼女は、アルケニモン。
『畑』を管理するためにこの領地の宰相・ワイズモンに囚われ、ここに拘束されているらしかった。
「改めて、オレ様はフェレスモンの蛇苺。『畑』の警備のために『城』からこんな土臭いところに派遣されてきたフェレ。可哀想な身分同士、仲良くやるフェレよ」
アルケニモンは、もはやこちらに視線を向ける事すらしなかった。
「……ふっ、おもしれー女フェレ」
視線はくれなかったが、オレ様がそう呟くなり、彼女は足元の鎖を少しでも俺から遠退けるかのように自分の元に手繰り寄せた。
ようするに、セカンドアプローチも失敗、という事らしい。
見誤っていた、アルケニモンからオレ様への好感度には、まだ底があったようだ。
前途多難である。
先にも記述した通り、これは長期の任務。しかも終了期間未定の、だ。
この『畑』の作物--『暗黒の花』の栽培が終わるまでは、基本的にオレ様、アルケニモンと、2体っきりらしい。
まあ、まだ落ちる程アルケニモンからオレ様への嫌悪感が根深いと言うのなら、逆を言えばポジティブな変化への伸びしろは大きいという事だ。
気長に頑張ろう。
ワイズモンは「危険な任務」だとのたまっていたが、こんなダークエリアのクソ辺境の花畑(予定地)、腹をすかせたボアモンの類だろうがそうそう荒らしにはやって来るまい。
ようは、どうせ、暇だから。
どうしてもダメそうなら、今、そうしているアルケニモンを倣って、後日ブギーモンに自宅から愛読書を運んできてもらうのもいいかもしれない。
……等々考えながら。オレ様はダークエリアの空を見上げて、渦巻く黒雲の向こうに多分無いラ○ュタに思いを馳せたり馳せなかったりするのだった。
少なくともこの時は、オレ様、随分とのんきに構えていたのである。
*
辞令は突然に。
突然ワイズモンに王の間へと呼び出されて、「オレ様またなんかやっちゃいましたフェレか」とおっかなびっくり顔を出したオレ様に言い渡されたのが、先の『暗黒の花畑』の警護の任務だった。
比較的最近別世界『ウィッチェルニー』出身という設定が『デジモンプロファイル』に記載されて「その設定前からあったっけ」と界隈を騒然とさせたワイズモンは、その、なんか別世界とか時間とか空間も好きなように行き来できる力(※これは前からある設定だぞ)とかしこい頭を駆使して、とてもすごい闇の力を秘めたアイテム--『暗黒の種』を入手・複製に成功したのだそうだ。
『暗黒の種』がどんなアイテムなのかは、各自『デジモンアドベンチャー02』あたりを視聴してくれ。
オレ様も復習しようと思ってア○プラで開いたら、ページトップの全体用サムネが何故かアグモンと細目状態の太一でとても微妙な気持ちになってしまったのでみんなにも同じ気持ちを味わってほしい。
閑話休題。
で、この『暗黒の種』。成長すると、彼岸花という花に似た『暗黒の花』を咲かせるのだが、それが滅茶苦茶闇属性デジモンのパワーアップに有効なのだそうで。
我らが王に捧げる供物として栽培するために、急きょ畑と育成者を用意した。
万が一にも奪われると困るので完全体の警備員も立てたい。いざとなったらすぐに部下も動員できるオマエが行け。
……と、いうのがワイズモンの主張だった。
人事部っていつもそうフェレね中間管理職の事何だと思ってるのフェレか。と一応訴えてはみたものの、アンデッドがあふれた世界でオレ様は普通に襲われる立場。ついでに言うと我らが王は襲う側の筆頭で、ワイズモンが抑えていない限りは部下だろうと見境なしである。
結局、我らが王の腕の一振りで脅されたオレ様に拒否権は無く、直属の配下であるブギーモン達とささやかな宴会を開いたその翌日、領地の端にある、RPGの類だったら絶対『迷いの森』等名付けられていそうな暗い森の中の『暗黒の花』畑予定地へと飛ばされたのであった。
まあ、普通にそんな迷うような土地でも無いし
ついでに言うと、うちの領土はそんなに広く無いので、『城』に帰ろうと思ったら飛行で半日もかからないのだが。
……通勤でも良かったんじゃないかなぁ。
*
「と、オレ様がここの警護についたのはそういう経緯フェレ」
「ああそう」
勤務3日目。
その相槌がアルケニモンの口から発せられたものだと気付くのに、たっぷり数秒。
理解した瞬間、オレ様は思いっきり腰を抜かした。
多分、オレ様達フェレスモン種の必殺技『デーモンズシャウト』を喰らった相手っていうのは、こんな感じの気分になるのだろう。
何せアルケニモンはこの間、暇を持て余して一方的にしゃべりかけるオレ様にあんまりにもあんまりなくらい無反応を貫いており(厳密には近寄るなオーラは常々出していたし、オレ様が顔を近づければ反対の方向に目を逸らしたりはしていたが)、オレ様の方もオレ様の方で、コイツ、ひょっとして口が利けないんじゃないかとか、フェレスモンのもう一つの必殺技『ブラックスタチュー』って、石化技じゃ無くて未来道具でいうところの『石ころぼうし』みたいな効果でそれが暴発したんじゃないかと疑い始めていたところだったのだ。
それが、喋った。
なんという事だろう。たった4文字ではあるが、0からの4文字である。無から有を作り出したと言っても過言では無い、とんでもない快挙である。
この瞬間、宇宙が爆誕した。
「……喋って欲しくないなら、一生黙ってる」
「アッちょっと待って。ごめん、ごめんフェレ。オレ様が悪かった」
宇宙猫ならぬ宇宙悪魔……いや、この表現はなんかマズいな。なんとなくマズい。コズミックホラーチックでよろしくないのと、オレ様、元ネタを同じくする宇宙人がいるのでややこしいのだ。
兎も角、そういった類の表情を浮かべて固まっていたらしいオレ様に、ぱたんと読んでいた本を閉じたアルケニモンが、一言。
ひっくり返っているオレ様から、死にかけのゴキモンあたりを連想しているのかもしれない。こちらに寄越した視線はきっと、遠い業界ではご褒美なのだろう。
とはいえオレ様が望んだのは強いプレイでの応えではないし、そういう意味で痛みを知るただ1人にはなりたくないので慌てて礼ではなく謝罪を繰り返してみたところ、ふぅ、と、何もかもを諦めたような一息を、アルケニモンは吐き出した。
「しつこかったし。面倒だけど、こっちの対応をワイズモンに言いつけられて、これ以上待遇が悪くなるのも、嫌だから。それにしつこかったし」
「重要なポイントなんだろうけど2回も言わないでフェレくれ」
「本当にしつこかったから。……質問があるなら答えるから、気が済んだら、静かにして」
人(デジモン)の嫌がる事を繰り返すだなんて、この女、よほどのサディストである。オレ様よか悪魔だこの蜘蛛女。
とはいえこのまま台詞を忘れた俳優のように固まって、クールごとのNG大賞にノミネートされるでもなくアルケニモンと永久に口を利く機会を失ってしまってはたまったものではない。
誰かがそこに居るのに無言、という空間は中々に堪える。
そうでなくても、ここでの任務。思った以上に、暇なのだ。
オレ様、饒舌な悪魔なので、そろそろ口寂しかったのである。
「とりあえず自己紹介するフェレ。呼び名も解らんようでは有事の際とオレ様が暇な時に困るフェレからね」
「基本的にしゃべりかけないんでほしいんだけど」
はぁ、と今度は心底嫌そうに大きなため息をついて、しかし自分から持ち掛けた提案に応える程度の律義さはあるのだろう。
目を合わそうとはせずに、アルケニモンは続けた。
「アルケニモン。完全体魔獣型。……ワイズモンから聞いてるでしょ、そのくらい」
「そのくらいオレ様だって知識として知ってるフェレ。ただ個体名があったら把握しておくのが筋フェレし……そもそもオレ様、キサマの仕事が何なのか、まずそこから知らないフェレのだが?」
「……」
別に、と。
しばしの沈黙を挟んで、吐き捨てるようにアルケニモンは言う。
「私は、ここに繋がれているのが仕事なの。ここにずっと繋がれて、気の滅入る本ばかり読んで、ずーっと嫌な気持ちでいるのが仕事。……もう、どこにも行けないの」
「フェレェ? 何フェレか、キサマ。好きなキャラに勝手にあてがうキャラソンにいつも米津○帥の曲とか使うタイプフェレか?」
「は?」
「いや、わかるフェレ。気持ちは痛い程わかるフェレ。オタクを概念で殴り殺す曲ばっかり書いてるフェレもんな、彼。でもデスクワークの辛さまで代弁させるのはちょっとどうかと思うフェレ。ようするに、キサマの仕事は『暗黒の種』の成長記録係フェレね?」
「……バッカみたい」
低めた声で罵倒されて。
それっきり、アルケニモンはこちらから顔を逸らした。
後は元の木阿弥である。いや、さっきより酷い。完全無視。
気を引こうとして目の前でソーラン節とか踊ったりしてみたがまるで効果が無かった。アルケニモンのオレンジ色の瞳は本の文字だけを追い続け、ついぞ就寝時間までこちらを顧みる事は無かったのである。
こうして宇宙は滅んだ。
*
と、思ったのだが、再び話をするチャンスは、想定よりも早く。
次の日の昼下がりに、思わぬ--そしてあまり願わぬ形で訪れた。
「イービイビイビイビ! ここが魔獣王の畑イビね!?」
勤務4日目。
どこからともなく。わかりやすく描写すると『無印』52話みたいな感じで湧き出てきたイビルモンの群れが、畑の上空を覆ったのだ。
オレ様は戦慄する。先鋒を務めるイビルモンの口調がオレ様と丸かぶりだったからだ。
「……友達?」
加えて眉をひそめたアルケニモンのいぶかしげな視線までもが突き刺さる。
こんな時でなければ新たな宇宙の誕生を寿いだりしたかったのだが、会話のきっかけになるとしてもアレとねんごろな仲だと思われるのは心外が過ぎる。
「オレ様にあんな品の無い顔のフレンズは居ないフェレ。マコトくんに謝るフェレ」
「誰だよ」
「マコトくんは親が転勤族故転校をくりかえしていた孤独な卓球少年フェレ。まあ別にオレ様の友達じゃないフェレけど、同族のよしみで紹介しておくフェレ。詳しくは『デジモンクロスウォーズ』第3期の」
「お前に友達がいないことは解ったから、後にしてくれる?」
それに顔面の品の無さは似たり寄ったりよ、と付け加えられたような気がしたけれど聞かなかったことにした。正確に言うとその手前の部分もすごく刺さったけど、たとえ胸の傷が痛んでも夢を忘れず涙を零さずにいれば愛と勇気は友達なので、オレ様はその場から飛び立った。
まあ、実際。
先にどうにかした方が良いのは、事実だった訳で。
畑を背に、イビルモン達の前に躍り出る。
「我が名は蛇苺! クソ田舎の果てよりこの地に来たフェレ! そなたたちはダークエリアの源とかいうよくわからん設定を持つ、古い小悪魔型フェレか!?」
「キャラ被りは帰れイビ! イビ達はそこにある暗黒の種に用があるのイビ! それさえあれば、大悪魔型への進化も夢じゃないのイビ! 完全体だからって、この数に敵うと思うなイビよ、大人しく種を」
「『デーモンズシャウト』!」
キャラ被りイビルモンが喋っている内に、背景と化していたイビルモンズにオレ様のシャウトを浴びせる。
途端、攻撃を喰らったイビルモンズは残らずぐるりと目玉を回し、手近な相手--もちろん、同胞であるイビルモン達だ――に攻撃を仕掛け始める。
「イビ!?」
「初手で混乱かけてまともに行動させない」。闇に連なる者の基本戦術だ。千○繁御大ボイスのマタドゥルモンもそうだそうだと言っています。
オレ様はすかさず技にかかっていないという意味では混乱していない、しかし状況にはしっかり混乱しているイビルモンに、片っ端から攻撃を仕掛ける。殴る蹴る、三又槍で突く。
本気でやる必要は無い。イビルモンは、ただでさえ正面からの戦闘は避けたがるタイプのデジモンだ。まともな連携も取れない状態で格上の相手など続ける筈も無い。
1体、また1体。と。あっという間に、蜘蛛の子を散らすように。イビルモン達は散り散りに逃げ去っていく。
「ちょ、お、オマエら!? 待つイビ、暗黒の種さえ手に入ればこんなヤツ――」
「ひとつ教えておいてやるフェレよ」
それでもなお仲間を引き留めようとするイビ野郎を、ひとまず首謀者と判断。
後ろから頭を掴んで、こちらを向かせる。
「イ--」
「大悪魔型どころか、デジモンには小悪魔型以外の『悪魔型』は現在存在しないフェレ」
イビルモンのただでさえデカい目玉が驚愕に見開かれる。
悪魔っぽいデジモンは主に、オレ様のような堕天使型に分類される。完全体で例外と言えば、ぱっと思い付くのは、アンデッド型のスカルサタモン、水棲獣人型のマリンデビモン等だろうか。
つまり『02』のデーモンの配下には、見た目は文句なしに悪魔だけれど分類は違う3種が揃っていたのだ。魔王の人望の厚さが成せる業と言えよう。
ちなみに『天使型』には大天使型も小天使型もいる上、もっと細かい分類まであるぞ! テストに出るから気を付けろよな。
「脳みそはそのままにしておいてやるフェレから――一から勉強し直すフェレ! 『ブラックスタチュー』!!」
「イビー!!??」
驚きの表情をそのままに、イビルモンが石化する。
後でブギーモンに取りに来てもらって、城で「『よくわかるデジモンの分類』的なCD教材を耳元で鬼リピし続ける」的な拷問にでもかけておくよう言っておこう。
畑の柵の向こうにイビルモン石を投げ捨てて、俺はアルケニモンの元へと舞い戻った。
アルケニモンは何事もなかったかのように、手元の本に視線を落としている。
「あのフェレな~」
蜘蛛の子を散らす、という表現が脳裏を過った時に思い出したが、アルケニモンにはドクグモンだかコドクグモンだかを使役する必殺技があった筈だ。
本人は鎖で繋がれているから、百歩譲って加勢しないのは仕方ないにせよ--
「ちょっとは手伝ってくれてもよかったフェレしょ。今回はたまたまパニックバリアDXとか積んでないやつばっかりだったからよかったフェレけど、『デーモンズシャウト』だって混乱確定技じゃ無いのフェレよ?」
「……本当に、ワイズモンから何も聞いてないの?」
「フェ?」
「……ずっと、バカにしてるのかと思ったけど。その反応を見るに、お前がバカなだけなのね」
「レ!?」
ふぅ、とまた呆れたように息を吐いて、今回は比較的素直に、アルケニモンは顔を上げる。
瞳には若干の憤りが混じっていたが、それより何より、諦めの感情が色濃くて。
「私、ワイズモンの魔術で姿を……なんなら力も、人間のものに固定されてるの。もちろんドクグモン達も取り上げられた。少しくらいなら糸は出せるけど、それだけ」
「はぁ? なんでフェレ」
ワイズモンは頭の良いデジモンだ。ウチの場合は王がアホ過ぎるだけだが、この領地を実質牛耳り、周辺の諸侯を相手取れる程度には、ワイズモンはうまく立ち回っている。
そんな奴が、わざわざ完全体の戦力を不完全にして手元に置く意図がわからない。アルケニモンが反骨精神溢れる女傑だとしても、奴ならどうとでもしそうなのだが。
「『暗黒の花』の開花条件は? それも聞いてないの?」
「……あ」
実を言うと聞いてはいないのだが、『02』の知識はあるので、言われてみれば。思い当たる節がようやく見つかった。
『暗黒の花』は「人間の」負の感情を糧に育つ花だ。
とはいえ現在のデジタルワールドは、デジモン・人間双方の世界間の渡航を厳しく制限している。一部の選ばれし子供やそのパートナー、管理システム『イグドラシル』の端末と、あとは空間を自由に行き来する能力持ちのデジモン以外は、おいそれとリアルワールドに行ったり来たりなどできないのだ。
ちゃんと数週間前から管理局に書類を提出して、引っ掛け問題まみれのテストをクリアすれば行けない事も無いのだが、「『暗黒の花』を育てたいので人間さらってきます!」なんて横行が、そもそも許される筈も無く。
そうとなったら、その頭脳を駆使して代替案を用意するのがワイズモンというデジモンだ。
ははーん、だいぶ読めてきたぞ。アルケニモンってデジモンは――
「……迷惑な話。最初の『アルケニモン』が人間のデータを持ってたとか何とかで、人間とは縁もゆかりも無い私みたいなアルケニモンにも、類似のデータが混ざってるんだとさ」
--他ならぬ人間の代替品、という訳だ。
「だから言ったでしょう。私の仕事は、ずーっと嫌な気持ちでここに繋がれている事。……そうしたら、その内『暗黒の花』が花開くんだと」
「そういや、昨日は「気が滅入る本」云々言ってたフェレね。……何の本読まされてるのフェレか」
「ワイズモン曰く、『大手ライトノベル新人賞の第一次選考落選作品の問題点だけを学習したAIに書かせた超大作学園ファンタジー』らしいわ」
「……」
「この章、文の締めの文字が全部「た」で終わりそうよ」
つらい。
つらすぎる。
クソ田舎領宰相の卑劣な策だ。ひとのこころとか無いんか。いや、ひとのこここが無いのはデジモンだから当たり前かもしれんが、青く若い人の子の夢と情熱を「気が滅入る」ポイントに使うのは、アルケニモン以前に全国のワナビー・ザ・ビッゲスト・ドリーマーにも失礼だ。やめてくれワイズモン、その術はオレ様にも効く。
「ちなみに今ヒロインが花の嵐にさらわれていったところ」
「キサマ……消えたのフェレか」
噂を聞くに、新人賞だと無茶苦茶多いそうだな、その〆。
いやまあ、それはさておき。
「とりあえず事情は分かったフェレ。こっちはワイズモンに、キサマの仕事は畑の管理としか聞いてなかったのフェレよ。悪気があって聞いた訳じゃ無いとは弁明しておくフェレ」
「……別に。心底ウザいと思ってただけで、存在そのものを気にしてないから」
「世間じゃそれを気にしてると言うフェレし、せめて存在は認識しておいてほしいフェレ」
「必要無いでしょう。私を嫌な気分にさせ続けたいなら、それをお前の仕事だと私も割り切るけれど、そのつもりも無いなら話しかけないで。気が散るから」
「フェレ~。カタいコト言うなフェレ、長期の任務フェレよ? オレ様が暇だから喋ろうぜアルケニモン」
「……私は、お前の任務も少しでも短くしてやるために言っているのだけれど」
また、深く息を吐いて、飽きれた双眸をアルケニモンはこちらに向ける。
「まあいいわ。じゃあ、こうしましょう」
「ん?」
「さっきみたいに、お前がこの畑を襲撃する輩を追い払ったら、戦闘の手段を持たない私はその礼として、お前と会話してあげる」
ええー、と、思わず声が漏れた。
「それってほぼほぼ「喋らない」宣言じゃないフェレか。さっきのイビルモン達は芋々しさからして周辺住民だろうフェレけど、基本こんなクソ田舎の辺境の畑、そうそう襲撃されないフェレよ」
と、ここで。
ほんの僅かに、アルケニモンが唇を弓なりに歪めた。
とは言っても、どちらかといえば疲労感を感じざるを得ないような、嘆息のついでのような笑みだったが。
「どうかしらね」
そして結局、それがアルケニモン本日最後の台詞となった。
後はいつもの通り、何を言っても、何をやってもだんまりである。ためしに目の前で幻のラジオ体操第3とかやってはみたが、イビルモン相手に多少は動いたオレ様の身体のクールダウンになっただけだった。
……だが。それから数日というもの。
オレ様は、アルケニモンの言葉が沈黙の宣言であれば良かったのにと、遺憾ながら思い知らされる事となる。
以下、ダイジェストでお送りしよう。
*
「ヒャハハハハハ! ボクはデジモンの顔が苦痛に歪む姿を見るのが三度の飯よりも大好きなサイコパスジョーカーモンだよぉサイスぺろぺろ! 真っ赤な鮮血の紅い花を咲かせたくなかったら、†暗黒†の種をボクに」
「「真っ赤」か「紅い」のどっちかにするフェレ『ブラックスタチュー』!」
「ぎゃー!?」
「その手の登場人物は、この本の中だけの存在でいてほしかったわね。……赤い花、ねえ。私も、成熟期の頃は似たよなものだったわ。レッドベジーモンだったの、私」
*
「オラオラオラ! 誰の断りを得て畑なんか造りやがったんだオラオラ! こんなところに段々の畝があったら気持ちよくパラリラできねえだろうがオラオラ! 今すぐ真っ平らにして」
「田舎のヤンキーがやめろフェレ『ブラックスタチュー』!」
「ぎゃー!?」
「本当は、ピストモンみたいな、自由に好きなところを走り回れるデジモンになりたかったのだけれど。……ま、本当だったら、アルケニモンにだって、走り回る事自体は出来なくは無いでしょうけどね」
*
「見つけたぞ! ここが暗黒の種を違法栽培しているという魔獣王の畑だな? 我が名はホーリーエンj」
「大天使型の相手とかまともにしていられないのフェレよ不意打ち『ブラックスタチュー』!」
「ぎゃー!?」
「でも、こんなことになるくらいなら、進化なんてしたくなかった。人間のデータが混ざっているからって、こんな仕事を押し付けられるくらいなら、ね」
*
「スンスンスンスンスーハースーハー! 食事! 新鮮な食事のにおいがする!! このゴートモンの食欲を刺激する新鮮な書類データのスメル!! うおおおおそこの女その本を私によこせええええええ!!」
「そんなパターンもあるのフェレか!? 『ブラックスタチュー』!」
「ぎゃー!?」
「……いや、それは食わせてやればよかったんじゃない? 私、いいんだけど。別に」
*
「兄貴ー、蛇苺の兄貴ー! 頼まれてたもん持ってきたっすよー」
「『ブラックスタチュー』!」
「ぎゃー!?」
「ってわー!? ごめん、ブギーモンじゃねえか!! つい反射的に」
「……」
*
「クックックック……オレはグルスガンマモン。アニメのクソつよグルスガンマモンとは全くの別個体。いたって標準の成熟期デジモンだ……。アニメ個体のようなインパクトを手に入れるべく、オレの力を強化できそうなめちゃすごアイテムがあると聞いてここまでやって来た。寄越してもらおうか……!」
「ちょっと不憫だけどそれはそれとしてやるわけないだろ『ブラックスタチュー』!」
「ぎゃー!?」
「フン、闇のデジモンを強化する暗黒の花、ね。……咲いたあかつきには、魔獣王の頭も強化されてくれればいいんだけれど」
*
勤務11日目。
「効率が悪い」
畑の畝に沿ってケーブルを這わせながら、オレ様はひとりごちる。
「宰相はとにかく効率が悪い」
ワイズモンの事は立場の件さえ無ければ、っていうかアイツが魔獣王をコントロールしてさえいなければビンタをかましてやりたい程度には好きじゃないのだが、どうせ叶わぬ夢なのでとりあえず、オレ様はオレ様の責務を全うしている次第なのだった。
「……いや、ぼそぼそ言いながら何やってるの? ブギーモン共まで来てるし」
「何って、畑の改良--」
オレ様はその場でひっくり返った。
先程まで椅子代わりにしている岩にもたれかかって眠っていたアルケニモンが、いつの間にか目を覚まして声をかけてきたからだ。
オレ様、今日はまだ誰とも戦っていないのに、である。
「これだけ騒がしければ起きるわよ。で? 何してるの。畑の改良って」
状況が状況なためか、普段の冷たい視線は訝し気な態度によって若干緩和されている気がある。
最も、余計な事をするなと言いたげな空気は感じないでも無いのだが、ブギーモン達も居る以上、ワイズモンからの指示である可能性も考慮してとりあえず話は聞こうと判断したのだろう。
この件に関しては100%オレ様が独断で動いているのだが、オレ様の方もオレ様の方で同僚を蔑ろにするのは気が引けるので。
というか、アルケニモンに頼む事もあるし。
同じ作業をしているブギーモンに断りを入れてから、オレ様はアルケニモンの隣へと並んだ。
話をする時の、定位置である。
「おう。この畑、10日経っても全然芽吹きもしないクセに、襲撃者だけは毎日のように来るフェレだろう? あんまりにも効率が悪いから、ちょっとばかし手を加えてやる事にしたのフェレ」
部下のブギーモンズは畑の中と外、いくつかの組に分かれて作業中である。
外のブギーモンズの仕事は穴掘りだ。落とし穴を作らせている。
襲撃者の傾向から見て侵入口は大体把握したので、陸路で来る奴は大体落ちるだろう。底にはブギーモンの三又槍を穂先を上にして敷き詰めるよう指示してあるので、落ちたが最後、並の成熟期ならひとたまりも無い筈だ。
武器を手放すのに抵抗があるのでは? と疑問を抱く諸兄も居るだろうがそこは安心してほしい。アイツらは不思議な呪文の類も使えるし、城に戻れば予備もある。
というより、安全に落とし穴で処理した敵デジモンのデータも三又槍を介して自身に還元されるので、正面切って戦うタイプでは無いブギーモンズ的にはむしろ万々歳の策なのである。
で、畑の中。
オレ様のように畝沿いにケーブルを敷いたり、畑の端で人間界で言うところのスマートフォンに近い端末を操作しているブギーモンズは、何をしているのかという話になるのだが。
「ま、これに関してはオレ様が実演してみせた方が早いフェレな」
オレ様も自分の端末を取り出して、液晶画面をアルケニモンの方に向けた。
同時に、使用するアプリを開く。空色を背景に、白い鳥のマークが表示された。
「……ねえ、これって」
「おっと皆まで言うなよアルケニモン。これはオレ様達にとっての幸運の青い鳥フェレ」
多分な、と付け加えて、ほぼほぼ部下とデジモン公式関連で形成されたTLから、検索の画面へと移行する。
適当な人気コンテンツの名前を入力し、話題の項目では無く、最新を選択。
――半年待って推しの扱いがこれとかスタッフ本当にやる気あるの?
――周年ガチャなにコレ。全然未実装キャラ推し勢の救済してくれないじゃん。信じて損した。
――新要素要らないんですけど……これやるくらいならメインストーリー更新できたよね?
イイネなどまず付いていない、あったとしても身内のが多くて2、3個といった個人のネガティブな呟きを、片っ端から引用でリツイートしていく。
添えるコメントなどは適当だ。大事なのは、この引用リツイートという様式。これが相手にプレッシャーを与える上で重要なのである。
「……何やってるの?」
「オレ様、そして部下達の青い鳥アカウントは、現在鍵垢になっているフェレ。フォローしていない鍵垢のリツイートは、引用のも含めて通知が表示されないのフェレ」
「いや、それは知ってるけど……」
「こういう攻撃的なツイートを鍵も付けずにTLに流す奴のツイートは基本的に愚痴が大半フェレ。それも片っ端から引用リツイートしていくフェレ」
すると、気付いたアカウントの主は、姿の見えない引用リツイートの主に対して「誰?」から始まり徐々に攻撃的なお気持ちを、ようするに新たにネガティブな呟きを投稿するようになる。
さっさと自分も鍵にすれば良いものを--いや、まあ、そのお蔭でオレ様達の仕事が捗るのだから多くは言うまい。
「で、オレ様達が引用リツイートしたネガティブな呟きは、自動的にダークエリアのこの区画、魔獣王のサーバに流れ込むよう連結しておいたのフェレ」
「まさか、このケーブルって」
「御明察! 城のサーバから、ネガティブツイートをこっちに流しているのフェレ。直のキサマからの感情に質は劣るフェレだろうが、量だけは腐る程あるフェレからな。安定供給できる筈フェレ」
そも、元の暗黒の種だって、咲かせていたのは1人につき1輪だ。アルケニモンの負の感情がいくら深かろうとも、畑ひとつを賄える程太く逞しい根ではあるまい。
やはり戦いは数。この辺は、魔獣王という強大な個体に依存しているワイズモンと、ブギーモン上がりのオレ様との思考の差だろう。
「……」
アルケニモンは、特に何も文句は言っては来なかった。
正直意外だ。余計な事をするなと目くじらを立てるとばかり思っていたのだが、今現在、彼女は困惑を瞳にありありと浮かべながら、オレ様の端末と畑の畝との間で視線を行き来させるばかりで。
と、やがて。
「お前って」
目線をこちらに寄越す事はせずに、しかしオレ様に向けて、アルケニモンは口を開く。
「バカのくせに、弱くはないし、頭が悪いわけじゃないのね」
「バカでもないのフェレだが?」
「なんでワイズモン共に仕えてるの? これだけ部下も居るなら、誰かに仕えなくても、もっと好きなように暮らせるんじゃないの?」
「……」
どうやってバカを訂正させようかめちゃんこ賢い頭を捻っていたオレ様は、しかしバチクソ賢いのでそれよりも重要な事に気付いてしまった。
これは、アルケニモンがオレ様に振って来た、初めての、オレ様自身に対する興味感心だと。
やった。
やったぜ。
苦節11日。ようやくこの段階まで辿り着いた。長かった。「自己紹介でサムいギャグかまして滑ったイタいフェレスモン」からここに至るまでの辛く険しい道のりが走馬灯のよに
「話したくないならもう聞かない。黙ってる」
「あっ待って。話す。ちゃんと話すから。ちゃんとお話聞いてフェレ」
慌てて浸るのをやめて、過った11日間よりもさらに向こう、若かりし頃の思い出を引っ張り出してくる。
と言っても、そう特筆するべき事は何も無い。濃度で言うなら、ここ数日の方が濃いくらいだ。
「自分で言うのも何フェレが、オレ様、ブギーモンの頃からそこそこ要領が良かったのフェレ」
同じブギーモンでも、戦闘が得意なやつ、飛ぶのが上手いやつ、呪文を覚えるのが早いやつ、と、様々な個体が居た。
オレ様の場合、悪魔としての性質--「願いを叶える」能力が、昔から特化していたのである。
自他問わず、対象が抱いた「願い」を叶えるための効率的なルートが、すぐに頭に浮かんでしまう。
戦闘能力自体は高くは無かったが、相手の裏をかく戦術を立てるのは得意。
飛ぶのが上手いわけじゃないが、目的地に辿り着く為の最短ルートを見つけられる。
呪文の覚えも悪かったが、知っている呪文は組み合わせるなりしていい感じに使える。
大した能力も無いのに、能力がある奴と同じ結果が出せるものだから、いつの間にか群れのリーダーを任されて。
ついでに経験値稼ぎも効率よくやった結果、同世代の誰よりも早く、フェレスモンに進化してしまった、というワケである。
「まあいうて、ブギーモンの群れとか、この前のリベリモン程じゃ無いフェレけど田舎のヤンキーみたいなもんフェレ。だから昔は気楽に、悠々自適に暮らしていたのフェレけど……」
ワイズモンがオレ様達を訪ねてきたのは、この辺の区画で究極体が出た、という噂が流れてきた、その数日後だった。
結論から言えばその噂は本当で、しかも件の究極体の事は、ワイズモンが管理しているという。
その究極体デジモンは理性の無い獣で、野に放てば周辺を無茶苦茶にしてしまう。
日々の安寧を護りたいなら、自分に仕えてその管理を手伝え、というのがワイズモンの言い分だった。
もちろん嫌ではあったが、ここで断ればワイズモンが時空石に封じている究極体デジモンを解き放つのは目に見えていて。
なんてったってオレ様、聡いフェレスモンなので。
「とまあ、そんなワケで、オレ様とオレ様の部下達は、魔獣王……というか、ワイズモンに仕えているのフェレ。いうて衣食住は以前よりしっかり保証されてるフェレからな。一長一短ってところフェレ」
「……そう」
そう言って、アルケニモンは遠いところを見ていた。
自称聡いフェレスモンだとは言っても、コイツの考えている事の詳細まではわからない。思ったより不自由しているオレ様に同情しているのか、自分よりは自由だと妬んでいるのか。
「アルケニモン」
「ところでアレもお前の部下なの?」
違った。
遠いところじゃ無くて普通に畑の中見てやがった。
慌てて視線を追うと、畑の中央で、引いたばかりのケーブルをじぃっと見つめる1つ目玉がふよふよと浮かんでいて。
何かにつけて闇系デジモンの幼年期に充てられる事と、デジモン図鑑で検索すると何故かダークネスバ『グ』ラモンもヒットする(ふしぎだね。)事でお馴染みの正体不明種・クラモンである。
「さてはここに集まってる呟きから孵ったフェレね?」
クラモンはネットワーク上での争いが具現化したデジタマから生まれるデジモン。呟きの主たちは、どうやらママになったんだよ!
……それが可能な程度にはネガティブな呟きが集まっているという証拠ではある。が、畑のデータを食い荒らされては敵わない。
オレ様は畑に入って、駆除のためにむんずとクラモンを鷲掴みにした。
「くぅ~?」
うわぁめっちゃやわらかいんだが。もにもにのぷにぷになんだが。
オレ様昨今のスクイーズブームとかよく解らないまま乗り過ごした勢なんだが、なるほどこういうことか。これはヤバい。やみつきになる触り心地。あとなんだこのけしからんつぶらな瞳は。
ダークエリアで生まれたての幼年期デジモンに触れる機会なんてそうあるものでは無い。思えばオレ様も、少なくともフェレスモンになってからこの手のデジモンに直に触ったことは無かった気がする。
「はわわ……ちいさきいのち……!」
「何やってんの」
アルケニモンのツッコミは至極真っ当だが、こうなるとこのままコイツをぷちんと潰すだなんて、オレ様には到底出来そうに無い。
「オレ様……オレ様ちゃんとお世話するフェレから……飼っていいフェレか……?」
「いや勝手にしなさいよ」
涙ながらに訴えるオレ様に、いつもの塩っけを取り戻すアルケニモン。
彼女は心底呆れたように髪をかき上げる。
「っていうか、何? そんな成りして、可愛いもの好きなの? そういえば、個体名も蛇苺とかいうやけにファンシーな名前だったし……」
「おお~ん? ジャパニーズ・オタク・カルチャー『KWAII』をナメるなフェレよ?? ……ってか、オレ様の名前覚えてたのフェレな」
「くぅ~」
どこから出しているのかはさっぱりわからんが、クラモンが合の手を入れるかのようにか細い鳴き声を絞り出す。
ふふっ、愛い奴め。その鳴き声と大きな瞳、そして悪魔を堕とした触り心地に敬意を表して名付けよう。今日からお前はあいぷるだ。立派な金貸しとかに育てよう。
「覚えない方が無理でしょ、そんな見た目と噛み合わない名前。それに名乗りもしつこかったし」
「ひとこともふたことも余計フェレねキサマは。あいぷるを見習うフェレ」
「あい……ぷる……?」
「それに、蛇苺は由緒ある名前フェレ。人間どもの聖典において最初の人間を誘惑した生き物と、彼らに知恵を与えた赤い果実。その2つを融合させた名前フェレよ?」
蛇苺の名は、群れの長になった時に自分で付けたものだ。惰性で引き受けたものとはいえど、だからこそ、名前の持つ威厳を利用したかったのである。
いくらオレ様が要領のいい悪魔だとは言っても、その手の知識が勝手についてくるワケじゃない。それらしい名前を探し出すのはなかなかに骨が折れたが--その分、思い入れのある名前だ。
……だというのに、コイツ。なんて顔でオレ様を見てやがるんだ?
「おいアルケニモン。オレ様本物の貴族じゃないから大概の無礼は気にしない事にしてるフェレけど、人さまの名前を馬鹿にするムーブは流石に看過できないフェレよ?」
「いや……。……そう、ね。お前が気に入ってるなら、うん。いいんじゃない。悪かったよ」
「?」
何だろう、馬鹿にしている、という類の振舞いでは無い気がしてきた。
アルケニモンの台詞は妙に歯切れが悪く--まるで、オレ様の知らない何かを知っている風にも見て取れて。
「素人質問で恐縮フェレけど、キサマ、何かひっかかってるのフェレか?」
「……聞いても後悔しない?」
「このまま聞かないでもやもやしてるよりはいいフェレ。話すフェレ」
「くぅ~」
橙の瞳に色濃く躊躇を覗かせていたアルケニモンは、しかし「どうせこいつずっといるしな」みたいなノリで観念したのだろう。失礼な奴だな。
彼女は至極億劫そうに、口を開いた。
「あのね、人間に知恵を与えた果実は、一般的には林檎だと言われているわ」
「……フェ?」
「もちろん諸説はあるけど。でも、ワイズモンから渡された本に嫌という程血のように赤い林檎が登場したから、間違いないと思う」
「……」
「あと、苺は果物じゃなくて野菜のカテゴリーよ」
元レッドベジーモンが言うなら、少なくとも苺が果物じゃなくて野菜なのは確実なのだろう。
何故、何故だ。何故オレ様は今の今まで知恵の果実を苺だと思って生きてきたんだ。
えっじゃあ今までオレ様が自己紹介した相手はみんな「なんでこのデジモン、蛇苺なんて名前なんだろう」と思ってた……ってコト!?
「イヤッ、イヤッ、ヤダーッ」
オレ様は裏声で悲鳴を上げながらその場で涙目になりながら転がりまわった。
アルケニモンの冷たい瞳にも僅かながらに同情心が混じっており、小さくてかわいい輩たるあいぷるは、何してるんだろうコイツと言わんばかりにつぶらな瞳でじっとオレ様を見つめている。
「……なんで、そんなサブカルチャーに詳しいっぽいキャラしときながら、そんな勘違いしてたのよ」
「そんなのオレ様が聞きたいがー!? もう顔真っ赤フェレよ」
「……それはひょっとして、ギャグのつもりで言ってるの?」
「おっ、どうしたんスか蛇苺の兄貴。顔真っ赤ッスよ」
「……」
聞かないで……と声を絞り出すオレ様と、もう何も言わないでおこうと決めたのか口を噤むアルケニモン。
……とはいえ部下の前でこの体たらくでいる訳にもいかないので、オレ様は申し訳程度に表情を整えて立ち上がり、やって来たブギーモンに用件を尋ねる。
「落とし穴が完成したのッス」
「ああ、ご苦労さんフェレ。地表テクスチャの調整はオレ様がやっておくフェレから……っと、そうだ」
オレ様は再び、アルケニモンの方へと向き直った。
「アルケニモン、キサマ、その状態でも糸なら出せるのフェレよな?」
「……ほんのちょっとだけよ」
「長ささえあれば数はいいのフェレ。空から来る奴用に鈴を吊るして張るのフェレよ。ブギーモンに渡してやってほしいのフェレ」
まあ、そのくらいなら。と。相変わらずなげやりな調子ではあるが、アルケニモンは比較的協力的な様子を見せていた。
知らない方が良かった真実を教えた事実に引け目を感じているのか――いや、あまり深くは考えないでおこう。単純に、思い返すとオレ様のこころがしんどい。
まあ、コイツときっちり会話が出来た事自体は、そう、悪くは無かったので。
「そうそうアルケニモン」
あいぷるを頭に乗せてから、落とし穴の最終チェックに向かう前に、オレ様はまた、彼女の方へと振り返る。
「何」
「もしこの試みが上手くいったら、青い鳥作戦の発案者はキサマだったという事にするといいフェレ」
アルケニモンが、目を見開いた。
「……なんで?」
「言ってるフェレだろう? オレ様、無駄に優秀なのがバレて仕事を増やしたくないのフェレ。だがキサマは手柄と実績さえあればここから解放してもらえるし、何なら今後、ある程度自由に行動できるだけの地位を貰えるかもしれないのフェレ」
あのワイズモンは嫌な奴だが、目的のためにより良い方法があるなら、それを取り入れるだけの柔軟性は持ち合わせているタイプのデジモンだ。
そも、アルケニモンをここに縛り付けている理由が無くなるのなら、他の利用方法も考えはするだろう。どうせ逃げられないのなら、より良い待遇を求めるに越した事は無い。
「兄貴~! アカウントが止められやした~!? 一体どうすれば」
「バカ! リツイートのペースは考えろっつったフェレだろ!? そういうのは上限があるのフェレよ。……と、まあ。オレ様はあっちに行くフェレから、こっちは頼んだフェレよ」
「……考えとく」
気を回してやってもどこまでもそっけない対応で返すアルケニモンに肩を竦めつつ、それから後は、ほぼ1日中。オレ様は部下の仕事をチェックするために、畑のあちこちを駆けずり回った。
……その甲斐が現れたのは、早速、次の日。
勤務12日目にして、『暗黒の種』が芽吹いたのだ。
「夢だけど!」
「くぅ~」
「夢じゃ無かったフェレ!」
「くぅ~」
両腕で芽吹きを再現しながら、畑の周りを駆けまわる。
普段ならオレ様に向けて刺すように投げかけられるアルケニモンの視線は、しかしこの時、土を押しのけて顔をのぞかせた緑の芽へと、じっと注がれていたのだった。
*
芽吹いてさえしまえば、『暗黒の花』の成長は早かった。
「オレ様達は知らなかったフェレ。何気ない日常が、とても脆く儚い事を」
「くくくくくぅ~くくぅ~♪」
オレ様の台詞に合わせて生き残りたい感じがするBGMを流し始めてくれるあいぷると、それを白けた表情で眺めるアルケニモン。『暗黒の花畑』は、平和そのものだった。
まあそれもこれも、オレ様が必死にこの畑をサヴァイブらせた結果である。オレ様は心も声帯も不動ではないので、浮足立ちながら咲き誇る彼岸花のようにもみえる『暗黒の花』の畑を飛び出した。
花は無事育ち切り
本日はその、収穫祭である。
この光景も一旦は今日が見納めなので、ちょっとくらい遊んだってバチは当たるまい。
「と、まあ。オレ様達の選択肢がこの畑の進化を決めたのフェレ」
「やめてくれる? その一種のマーケティングじみた総括。……でも、無事に咲いてくれて。それは、良かったわ」
日曜朝9時といいこのところ新規絵に事欠かない種族でありながら、これまでに出てきたどのアルケニモンとも違った姿かつ境遇に置かれている彼女は、普段より多少穏やかにそう述べると、開いたままにしていた本をそっと閉じた。
収穫祭の知らせを受けてからというもの、彼女の振舞いと表情は僅かに軟化している。
本当に良かった。最初に盛大に選択肢をミスっただけに、挽回できた感動もひとしおである。
「もうしばらくしたらブギーモンズが到着する筈フェレ。そのタイミングでワイズモンもワープしてくるフェレから、まあ、あとはキサマ自身で上手くやるフェレ」
「くぅ~」
「そう。……とりあえず、まずは元の姿が恋しいわ。さっさと戻してもらうつもり」
『暗黒の花畑』だけじゃなくて、アルケニモンの人間形態も見納めか。そう言われてみると、何だかまだ実感が湧かないが--オレ様もようやく自宅に帰れるのだと思うと、気持ちが逸る部分もあって。
と、そんな上司の気分を汲んだ訳でも無いだろうが、なかなかのタイミングで「お~い」と知っている声が1つ。
翼を掠めるなりしたのか、ちりんちりんと鈴の鳴る音がして、すぐに鈴の音は何度も後に続いた。
「よう、数日ぶりフェレな」
「兄貴もお勤めご苦労様ッス」
先導を務めていたブギーモンがオレ様の前へと降り立つ。
途端、彼の前に突如として仰々しい皮の装丁が施された分厚い本が出現し、空中でひとりでにページをめくり始めた。
ちょうど、中央当たりのページにまで来ただろうか。
本は瞬く間に巨大化し、その中からフードに覆われた人影が出現する。
「ほう、見事なものだ」
このクソ田舎国の宰相・ワイズモンである。
ワイズモンは『暗黒の花畑』を見渡して、それからようやく、オレ様とアルケニモンを交互に見た。
「両名、ご苦労であった。報告は既に聞いている。お前達の働きは、相応に評価しよう」
「久しぶりねワイズモン。そう言うなら、さっさと鎖を外して元の姿にもどしてくれない?」
いくら直前までは多少機嫌が良かったとは言っても、自分をこんな目に遭わせた相手が目の前に現れては気分の良いままではいられなかったのだろう。アルケニモンは、噛み付くようにワイズモンに訴える。
だが、ワイズモンは「まあ待て」と、いつも通り余裕ぶった態度で彼女に制止を求めるのだった。
「まずは、魔獣王さま手ずからの収穫祭を終えてからだ。褒美はその後に与えられよう」
「……」
「まあまあアルケニモン。もうちょっとの辛抱フェレ。……魔獣王を待たせて機嫌損ねるのもマズいフェレからな」
オレ様の耳打ちに、彼女はずいと身体を逸らす。
そういうとこ、変わらないね。一周回って安心した。
「さ、キサマ達も整列するフェレよ。みんなで魔獣王さまをお迎えするのフェレ」
「くぅ~」
ぱんぱんと手を叩く合図にしたがって、ブギーモン達が綺麗に整列する。
これで準備は整った、と言わんばかりにワイズモンは目を細め、畑の向かい側に彼の武器――『時空石』を出現させる。
「魔獣王さまの、御成りー!」
「くぅ~」
こらこら合わせるなあいぷる、と、クラモンを宥めつつ、オレ様も一応姿勢を改める。
最初に現れたのは、腕だった。
『暗黒の花』に負けず劣らず赤い爪。腕。
角。仮面。胴。
何もかもが、スケールが違う。
真の闇の王のような200mとまではいかないが、それにしたって多少の悩みがちっぽけに思えるくらいでかくていかつい魔獣の王様が、森の木々を踏みつけにしながら顕現する。
こんなに大きくなっちゃったからには、真面目に頑張って来たのだと思うのだが、度を過ぎた真面目が祟って理性すら手放したとされる怪物――ヴェノムヴァンデモンである。
オレ様達は、一斉に魔獣王ヴェノムヴァンデモンの前に跪いた。
横目で見やると、アルケニモンは頭こそ下げていなかったが、流石にこのデカさには圧倒されているようで。
「グ、ウ……ハラ、ヘッタ」
「大変お待たせいたしました魔獣王さま。お食事をご用意しました故、どうかごゆるりとお召し上がりくださいまし」
おめーなんにもしてねーだろと一瞬思ったが、よく考えたら『暗黒の種』そのものを用意したのは宰相殿である。なんにもしてねーことはなかった。
それにしたって生育は丸投げにしたのだから、自分の手柄みたいな空気感はどうなのよと思いはしたものの、まあ、魔獣王はいちいち誰かの手柄だとか何だとかを気にするタイプのデジモンでは無い。
目の前にあるものを、喰らうのみ。
「--ク」
「?」
そういう類の化け物であると、わかっていた筈なのに。
どうして、皆失念していたのだろう。
「ニク」
魔獣王は、わなわなと身体を震わせたかと思うと――ぶん、と腕を振って、畑そのものを、薙ぎ払った。
赤い花が、空に舞い散る。
「な――なにして」
「ニクジャナイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!」
憤りに立ち上がったアルケニモンの声さえ、魔獣の咆哮に掻き消される。
その日、オレ様達は思い出した。
ヤツに知性が無い故の恐怖を……。
コイツに従わされている屈辱を……。
……そう、ヴェノムヴァンデモンは理性の無い化け物。
目の前のお花畑が今日のごはんと言われて、どう理解が出来ようか。
「おっ、お待ちください魔獣王さま! こちらは『暗黒の花』! 食べれば闇のデジモンであるあなたさまに更なる力を」
「ニク! ニクヲヨコセ!! ……ニク……!」
「あっ、やっべ」
「っ、おい、ワイズモン!」
ヴェノムヴァンデモンの口元に涎が光ったのを見て、ワイズモンは本の中に飛び込んだ。
すると本はたちまちぱたんと閉じて、そのまま光と共に姿を消す。
……逃げやがったあの野郎……!
「キサマ達撤退フェレ! 木の隙間を縫いながら死に物狂いで逃げるフェレ!!」
だったらオレ様達もこのまま付き合っている道理は無い。
手塩にかけた『暗黒の花畑』が無茶苦茶にされる絵面にはクるものもあるのだが、このままぼんやりしていれば、オレ様達が今日の晩御飯である。
幸いブギーモンは卑怯故に逃げ足の速いデジモン。巨体故に動作の鈍いヴェノムヴァンデモンからなら、世代差があっても何とか逃げおおせるだろう。
「っ、ちょっと」
「そうだった……! 今外すフェレ」
がしゃがしゃと鎖を打ち鳴らす音と引きつった声に、アルケニモンが繋がれている事を思い出す。
俺は愛用の三又槍で、急いで鎖を打ち砕いた。足枷はそのままだが、ひとまず勘弁してほしい。
「ほら、走るフェレ!」
オレ様は地面を蹴り、その場を飛び立つ。
くぅーくぅー鳴きながら頭に張り付いているあいぷるはまだしも、デジモン1体を運んで飛ぶ程の余裕はオレ様にも無い。
まあ仮にも元レッドベジーモン。植物が多いところでの逃げなら、彼女もうまい事やるだろう。
生きていたらまた会おうフェレ。
心の中で呼びかけて――
「きゃっ」
――返事の代わりの短い悲鳴に、彼女の運命を悟ってしまった。
ただでさえ、本来6本の脚で移動するアルケニモンが
半月以上もの間、歩き回れはしない状態で囚われ
足枷のせいでバランスも悪く
パニック状態で走り出せと言われて、走り出せる、筈があろうか。
「ニク、ニクゥ!!」
「ひいっ」
あれだけ気丈に振る舞っていたアルケニモンが、鋭く息を呑んでいた。
魔獣王の鋭い爪は、すぐ傍にまで迫っている事だろう。
這うようになけなしの前進を試みても、きっと、足はもつれて、動かない。
……逃げればいい。オレ様は、このまま。
実際、振り返りもしなかった。
半月の間寝食を共にしたとはいえ、オレ様は長らく、あのデジモンにしょっぱい対応をされてきた。
そもそも根っからの悪魔系であるオレ様に、対した義理など備わっている筈も無く。
「た」
だから
「たすけて……っ」
オレ様は踵を返して空から地面に滑り込み、ヴェノムヴァンデモンが彼女を捕らえる寸でのところでアルケニモンの身体を掴んで飛び出し、一緒に泥だらけになりながらスライディングする。
あいぷるが突起のような手で必死にオレ様の頭部を掴んでいて、とてももにもにぷにぷにの感触である事実だけが、今のオレ様の心の支えだった。
「ふー……っ」
息を、吐き出す。
身体を起こしてアルケニモンを見下ろすと、乱れて泥まみれになった白い髪の中に、恐怖で潤んだ橙の瞳が覗いていた。
「お、お前……」
この期に及んで、なんで? とでも聞きたそうな顔にも見えるが――まあいいさ。
「おい、アルケニモン」
呼びかけるなり、彼女の肩がびくりと震えた。
「もう一度言うフェレ」
「……え?」
「だから、もう一度。改めて言うのフェレ!」
オレ様、悪魔なので。
そういう風に、出来ているので。
「オレ様の名前と、キサマの望みを言うのフェレ!!」
喚び出されたら、仕事をしなくちゃならんのだ。
「っ」
いよいよ堪えきれなくなって、アルケニモンの目からぼろぼろと涙が零れ落ちる。
きゅっと結んだ唇が、決壊するように大きく開いた。
「たすけて、蛇苺ッ!!」
ぽん、と。
彼女の頭の上にあいぷるを預ける。
立ち上がって、対峙するのはオレ様達の王。
魔獣王ヴェノムヴァンデモンは、肉が増えたと言わんばかりにほくそ笑んでいる。
オレ様は
割と
本気で
一瞬
当たり前だ、的な事を叫びたかったのだが
「ま、ここは「ちゃんと」やるフェレかな」
風に乗って飛んで来た『暗黒の花』を一輪。空いている手で掴み取る。
オレ様はそのまま、むしゃりとその赤い花を噛み千切って、咀嚼した。
「契約成立フェレ」
呑み込んで、次の瞬間。
カッと全身が熱を帯び、踏み出した足が地面を陥没させる。
地を蹴れば想像以上に身体が飛び出し、突き出した三又槍が、再びこちらに迫っていたヴェノムヴァンデモンの手を弾き飛ばす。
「グゥ!?」
こ、これはすごい……! そういう風に使えると理解はしていたが、予想以上だ。
「ウオオオ! すごい、力がみなぎって来るフェレ! アルケニモン! これは一体……」
「え……『暗黒の花』の力じゃないの?」
「姐貴、姐貴。蛇苺の兄貴は多分「知らん……何それ……怖……」って言って欲しかったのッス」
「えっ、それこそ知らないんだけど」
ノリの悪いやつフェレな、と悪態の一つもつきかけて、しかしオレ様はそれ以上に大事な事に気付いてしまう。
今、オレ様の意図に気付いてアルケニモンに促したのは――
「な、何やってるのフェレかキサマら!」
――先に逃がした筈のブギーモンズで。
「いくらオレらでも、兄貴が残ったのに逃げられるワケが無いッス!」
「オレ達は最初から、兄貴以外には仕えてるつもりは無いッスからね」
「そうッスよ、アルケニモンの姐貴とあいぷるの事は任せてくだせえ」
「応援するッス! 加勢はしないけど応援は無限にするッス!」
兄貴、頑張れー! と。
公開から多少経った映画のCMの最後に出てくる女子高生達の「この映画サイコー!」並に揃ったブギーモンズの激励に、不覚にも涙腺が緩んでしまう。
「き、キサマ達……!」
口元を抑えて涙ぐみつつ、再びヴェノムヴァンデモンと向き直る。
食べ物としてしか認識していなかった相手に突き飛ばされ、魔獣王は怒りに顔を歪めていた。
しかし流石に究極体。知性が無いとは言っても、これまでに積み重ねてきた研鑽は伊達では無い。体勢は既に立て直されており、今度はしっかり『敵』と認知したらしいオレ様を、上下の目でじっとりとねめつけていて。
だが、オレ様も今この瞬間は『暗黒の花』の恩恵を受けて元気100倍フェレスマン。この鬼スゲー力を以って、邪魔する奴らは全員ブッ○して行こうぜ状態である。
脳内BGMに負ける筈が無いのさと鼓舞されて、俺は三又槍を構えて飛び出した。
「イヤーッ!」
「グワーッ!」
「イヤーッ!」
「グワーッ!」
「イヤーッ!」
「グワーッ!」
「イヤーッ!」
「グワーッ!」
「イヤーッ!」
「グッ、チョウシニ、ノルナ!!」
「グエッ」
「イヤーッ!」
「グワーッ!」
「アイエエエ……なんて激しい戦いッスか……!」
「……」
強化されたオレ様と魔獣王との激突に恐れおののくブギーモンズと、いい感じに描写されている筈の戦闘に何故か白い眼差しめいたアトモスフィアを向けるアルケニモン=サン。
実際オレ様もなんとなく言いたい事が無いでも無かったが、生憎そんな余裕は無かった。ショッギョ・ムッジョ。
軽く一撃貰っただけで、完全に形勢逆転ときた。
大きい事は良い事だ。パワーが桁違いなのである。
対するオレ様は、いくら究極体と渡り合える程の力を『暗黒の花』から取り込んだとはいえ、こと対魔獣王というカードにおいては、どうしようもない程決定打に欠けていて。
混乱技である『デーモンズシャウト』は思考能力が残念なヴェノムヴァンデモンには実質意味を成さず、また『ブラックスタチュー』は体格差が有り過ぎて、向こうを石にする前に必殺技の隙を叩き潰されるのが目に見えている。
アニメの同族が出来たんだから、オレ様もやろうと思えば巨大化自体は出来るとは思うが――いいや、ヴェノムヴァンデモン相手に的がデカくなるのはいただけない。
「グウウウウ、ウットウシイ! 『ヴェノムインフューズ』!!」
いよいよオレ様の目障り指数が臨界点を突破したのだろう。
ヴェノムヴァンデモンの目が光り輝き、光線が発射される。
相手を体内から破壊するウィルスを注入する必殺技『ヴェノムインフューズ』だ。
「っ」
掠めただけでアウトである。三又槍を持ち変えて、一先ず、オレ様は回避に専念し始めた。
だが逃げ回ってばかりではいられない。オレ様にかかったバフ、『暗黒の花』に含まれる暗黒成分は、『暗黒の花』1本分。そりゃヴェノムヴァンデモンだって必殺技を使い過ぎれば疲れるだろうが、先に消耗し切るのはオレ様の方に違いない。
だから、考えろ。
考えろ考えろ考えろ。
倒す方法は解っている。ヴェノムヴァンデモンの下半身に潜む霧状の『本体』。奴さえ引き摺り出せば、そいつになら、『ブラックスタチュー』が効く筈だ。
なので今閃くべきは、どうやって本体を出現させるか。
勝手に出てくるのを待つ? いや、アレは獣だからこそ、むやみに弱点を曝す様な真似はしない。
一番手っ取り早い方法は、奴の首を斬り落とす事。
上部の『ヴェノムインフューズ』の砲台を壊せば、正確に攻撃に狙いをつけるために、奴も顔を出すに違いない。
問題は、昆虫の甲殻と例えられるヴェノムヴァンデモンの外殻をどうにかするための手段が、オレ様には無いのであって。
「ここまで来て手詰まりフェレかよ……!」
歯噛みする。
いくら効率よく動けようが、オレ様の能力値は総合的に、フェレスモンの中では平均以下。
力も無く、
飛ぶのも下手で、
魔術の覚えも悪い。
望みを叶える最短ルートが見えるからこそ、叶わない望みからは目を逸らして、ここまで上手くやって来たっていうのに。
……最後の最後で、願いを叶える相手そのものをミスっちまったな--
「蛇苺ッ!」
アルケニモンに名前を呼ばれて。
身体が勝手に動いた。アイツが糸に何かを括りつけて、こちらに投げてよこしたのが判ったからだ。
反射的に受け取ったそれは、7日目の産物。
石にして、そのまま放置してある大天使の得物。
ブレス部分に齧って千切られた形跡がある。おそらく、データそのものを喰えるあいぷるが外したのだ。
「堕天使も天使の一種だろ! それでなんとかしろっ!!」
デジモンには、小悪魔型以外の『悪魔型』は現在存在しない。
オレ様も例外では無く、きっとアルケニモンは、そのやりとりをなんだかんだで覚えていたのだろう。
『聖剣エクスキャリバー』が、俺の手元に捧げられた。
「--ったく!」
無理くりにでも、にやりと口角を吊り上げて、自分の右腕に『聖剣エクスキャリバー』を、アルケニモンの出した糸で巻き付ける。
「ラノベの読み過ぎなのフェレよ!!」
だが、事実オレ様は魔人型のブギーモンとは違って堕天使型デジモン。
堕天使型デジモンの暗黒の力は、天使型デジモンの光の力と表裏一体。天使が堕ちれば悪魔に成ると言うのなら、その逆だって、不可能ではあるまい。
ましてや、今回のエネルギー変換は剣の切っ先、その分だけでいい。
それだけでいいなら――やってやるさ!
「『ヴェノムインフューズ』!!」
光線を掻い潜り、振るわれる腕を抜け、魔獣王の首筋に肉薄する。
三又槍を投げ出し、オレ様は思い切り右手を振り被った。
体内に取り込んだ暗黒のエネルギーを、ありったけ。
生半な知識しか無い呪文を、どうにかこうにか組み合わせて。「効率良く」聖エネルギーに変換しながら、流し込む。
『聖剣エクスキャリバー』は、瞬く間に巨大な光の剣と化す。
眩さに、ヴェノムヴァンデモンが顔を歪めていた。
ここまで来れば、処刑用BGMは脳内再生余裕。
「『約束された――勝利の剣』アアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
なので、ルビは各々で振るように。
「ギャアアアアアアアアアア!?」
悲鳴ごと断ち切るようにして、ヴェノムヴァンデモンの首が切断された。
なんて約束された威力なんだ『聖剣エクスキャリバー』。これは公式の最強デジモンランキング10位入賞待ったなしである。
とはいえ――ヴェノムヴァンデモンのそれが断末魔でない事は、オレ様もよく知っている。
無理やり聖属性の武器を振るったツケに、右腕が燃えているかのように痛んだが、まあ、大いなる力には大いなる責任が伴うものなので。
でもこれ以上着けていたら絶対悪影響が出そうなので、オレ様は急いで糸を解いて『聖剣エクスキャリバー』をその辺に投げ捨てた。
「ギッギッ、ギギギギギギギギッギギイギギギギギイイイイイイ!!」
と同時に、当初の目論見通り、ヴェノムヴァンデモンの下半身から握り締めたスクイーズのように、彼の本体が顔を出す。
絵面は酷いが、文句は言うまい。そんな暇も無いからな。
「シネ! シネシネシネ!! 『ヴェノムイン--」
「雇われてたよしみフェレ! 命だけは取らないでおいてやるフェレよ!!」
手を翳す。
ここから先は、オレ様がこのところいつもやっていた事だ。
慣れたものさ。
「『ブラックスタチュー』!!」
塊が蠢いているように見えるが、ヴェノムヴァンデモンの本体は霧の集まりである。
石化させられれば当然、固まるのは細かい水の粒1つ1つ。
何より死んだ吸血鬼は、そうなるものだと相場が決まっているのである。……いや、殺してはいないんだけれども。
ヴェノムヴァンデモンの本体は、今度は悲鳴の一つも上げられぬまま、細やかな砂となってダークエリアの風にさらわれていった。
*
「ぽんぺ……」
オレ様はお腹を抱えて蹲っていた。
『暗黒の花』。
超高密度の暗黒エネルギー。
そんなものを勢いよく取り込んだものだから、お腹がびっくりしてしまったらしい。
めっちゃ痛い。おなかめっちゃ痛い。なんなら右腕より痛い。
「何なのよあんたは、最初から最後まで……」
「それが契約を履行した相手にかけるねぎらいの言葉フェレかぁ……?」
自分で言うのも何だが、アルケニモンを咎める声さえ弱々しくなってしまう。
……こういう時、出すもの出してしまえば楽になれるモンなんだが、生憎暗黒エネルギーは完全に使い切ってしまったので、現在本当にお腹が痛いだけなのである。
しかし、言われると思うところもあるのだろう。アルケニモンは途端にしおらしくなり、未だにぐしゃぐしゃになっている髪に軽く手櫛を通しながら、小さく息を吐いた。
「その件に関しては……感謝してる」
「……」
「あり」
「あっ、ごめんちょっと待ってフェレ。また波が来たのフェレ。話は落ち着いてからにしてほしいのフェレ」
「……」
やめるんだアルケニモン。腹痛はお腹を冷やすと悪化する。そんな冷たい目で見ないでくれ。
……と、すんすん泣きながら痛みに耐える事数分後。ようやく波が引いたオレ様の元に、用を済ませたブギーモンズが、あいぷるを伴って戻って来た。
「ウッス、兄貴。大丈夫ッスか?」
「おう、なんとか。……キサマ達は? 『暗黒の花』、回収できたフェレか?」
「正直ダメッスね……ほとんど魔獣王にやられちまったみたいッス」
あっ、でも。と、ブギーモンズはあいぷるの方を見た。
あいぷるの『手』には、『暗黒の花』の花束が握り締められている。
「あいぷるのやつ、幼年期なのにとんでもない素早さッスよ。お蔭で風に持って行かれた分は、ほとんど回収してくれたっぽいッス」
「おー、よくやったぞあいぷる。この調子で貸した物をすぱっと回収できるような、立派な金貸しとかに育ててやるフェレからな」
「つぅ~」
あいぷるの瞳は何も解っていない風ではあったが、それとなく自慢な雰囲気は感じなくも無く。
オレ様は、一部とはいえホーリーエンジェモンのデータを吸収した結果、進化してツメモンになったあいぷるから『暗黒の花』束を受け取った。
これをいい感じに纏めれば、もう、ここに用はあるまい。
「魔獣王が風になった以上、ワイズモンもおいそれと顔は出せない筈フェレ。今の内に城に戻って、各自荷物を纏めてずらがるフェレよ」
郷愁の想いは無いでも無いが、同時に魔獣王の力の前に、囚われていたも同然の地だ。頭が消えた国がこの先どうなるかなんて想像もできないし、何よりオレ様、奴らに取って代わるために戦ったワケでは無いので。
まあ、なんやかんやと、残された住民たちも上手くやるだろう。
田舎のヤンキーは、無駄に逞しいと相場が決まっているのだ。
「が、その前に、と」
まだやる事が残っていると、オレ様は少しだけ離れた所から俺達を眺める、アルケニモンの方へと歩み寄った。
「……何」
「何、じゃないフェレよ。オレ様、キサマと契約したフェレからね。キサマの「たすけて」を叶えた以上、対価を払ってもらうのフェレ」
「……」
悪魔は望まれれば願いを叶えるが、それは相手から対価を得るため。
アルケニモンとて例外では無い。……それは彼女も理解しているのか、アルケニモンはそっと目を伏せて、「好きにして」と呟いた。
「悪魔らしく魂? とやらを取るなり、煮るなり、焼くなり、殺すなり。売り飛ばしてくれたっていいわ。人間の姿にしかなれないアルケニモンだなんて、少しは珍しいだろうから。お金が目当てなら、それで」
「そーフェレかそーフェレか。それじゃ、遠慮無く」
びしり、と。
オレ様は指先を、アルケニモンの額に突き付けた。
「キサマの名は、今日から『苺』フェレ」
「……は?」
心の底からの「は?」の迫力に若干胃がまた痛んだが、それは説明不足故だと自分に言い聞かせてこほんと咳払い。指を下ろして、代わりに口を開く。
「ほら、オレ様の名前、蛇苺の苺は禁断の果実でも何でもないのフェレだろう? とはいえ悪魔って結構名前に囚われるフェレから、改名にも手続きがいるのフェレ。……個体名は無いフェレよね? だったら、苺はキサマに押し付けてやるのフェレ」
そういうワケだから、オレ様の名前は今後『蛇』フェレと名乗りを上げると、ブギーモンズが「よっ、蛇の兄貴!」と囃し立てる。
ふっ、悪くない気分だ。オレ様、今度は新天地で、原初の人を誑かした生き物の名で生きていくのである。めっちゃ強そう。ええやん。伝説の傭兵みたいで。
「そ――そんなのでいいの!?」
だというのに、アルケニモン改め苺は声を荒げて水を挿す。
ホントこいつそういうところあるよな。これから長い付き合いになるんだから、多少なり気を付けてもらわないと。
「なにフェレか、オレ様の名前について指摘してきたのはキサマフェレだろ? 責任を取ってもらう意味でも適任フェレ。オレ様が蛇で、キサマは苺。オレ様には合わなくても、元々赤い野菜なんだからキサマにはお似合いの名前フェレ」
あと、と。
オレ様は手に持っていた『暗黒の花』--を、束ねて花冠にしたものを、苺の頭に被せてやる。
「!」
「正確には、オレ様達の契約はまだ完全に履行されたワケじゃないのフェレ。キサマの「たすけて」には、「元の姿に戻りたい」も含まれてるっぽいフェレからな。……キサマさえそれを望むなら、改めて契約するのフェレ」
「……あんたの望みは?」
「畑に居た時と同じフェレ。今度は別の王侯貴族に『暗黒の花』を売り込んで、オレ様達の住まいを探すのフェレ。花はキサマの持ち物って事にして、必要以上にオレ様に目が行かないための隠れ蓑になってもらうのフェレよ」
「……」
「その代わり、新天地で元の姿に戻る方法を探してやるフェレ」
すっ、と。
オレ様の話を聞き終えた苺が、右手を差し出す。
それは、この半月で。
真の意味で彼女が初めて自発的に、オレ様に接触を許した瞬間だった。
「……いいわ、蛇。契約して。もうしばらく私をたすけてほしい」
「いいフェレよ、苺」
オレ様はその手を握り返した。
さらにその上から、あいぽんが「つぅ~」と鳴きながら、見届け人のようにオレ様達の手の上に被さる。
ああ――長く険しい道のりだった。
オレ様、効率だけが取り柄のフェレスモンなのに、最初にスベった分を取り戻すまでに――アルケニモンを笑わせるまでに、こんなにも時間と手間をかけてしまった。
「契約成立フェレ」
*
ともあれこれが、オレ様とアルケニモン。即ち蛇と苺が手を組むまでの物語である。
マミアル原理主義者に強火で焼かれそうなオレ様達赤系デジモンコンビと愉快な仲間達の冒険はむしろこれからだったのだが、残念。文字数も大概に膨れ上がってしまった事だし、この辺で一旦打ち切りとさせてもらおう。
ご愛読ありがとうございました。
『Snake & Strawberry』の次回作に、どうかご期待ください。
こんにちは、企画でもサロンでもお世話になっておりますちこです。
今回はとても素敵な作品を読ませて頂いた感想を伝えに参りました。
快晴さんの作品を読むのはこちらでは初めてになりますが、始まりから終わりまで大変賑やかで明るいお話で、終始笑顔で読ませて頂きました。
蛇苺さんことフェレスモンと、最後に名を頂いて苺さんになったアルケニモンの掛け合いが読んでいてとても楽しく、また蛇苺さんを慕いついて来てくれるブギーモンたちとの絆に思わず涙が出そうになり…無事にハッピーエンドを迎えられた事にホッとしております。
最後もここで話が終わるのだ、というよりは彼らの賑やかで楽しい旅はまだまだ続くぞという先の未来を想像させてくれるような明るい終わり方でとても良いな、と暖かい気持ちで読み終わりました。
読んでいると自然と笑顔になれるような、そこかしこに散らばるネタに触れてはどこか懐かしい気持ちになるような、楽しい作品でした。
素敵な作品を読ませて頂けた事に感謝を。
ありがとうございました。
それではまた。