・
■■■。
誰もが自分のことをそう呼ぶ。
それが理解できないでいる。
いや。
そもそも自分は自分が自分である意味すら理解できないまま生きている。
それでも僅かばかりの優越感があるのは確かだった。既にデジモンとすら呼べない何かであるはずの自分は、少なくとも解き放たれたあの日から相対する如何なるデジモンよりも強いらしかったのだ。
目に映る全ての究極体を抹殺せよ。与えられたその使命のままに今日も殺戮を続ける。
「ガルルキャノン」
淡々と紡いだその言葉と共に放たれた閃光が、都市を一つ消し飛ばした。
「グレイソード」
片腕の先端より出現した刃を軽く振るえば、草原を駆けるデジモンの群れは一瞬で全て死体に変わった。
最初の内は巻き添えで完全体や成熟期も殺してしまっていたが、次第に上手くなった。グレイソードで刺し貫いたピエモンのすぐ隣にいたワイズモンには傷一つ付けず見逃した手際などは見事なものだと自画自賛。
その圧倒的な力と技量は恐らく当代一。
それに満足を覚える自分の心は、恐らくこうなる前の自分が関係している。
だから問題があるとすれば、それは自分が動く度にパリパリと軋む全身から来る痛みと。
「お、オメガモン……いや、違う……!?」
世界中の誰もが、殺される前に自分のことをそう呼ぶのだという二点。
オメガモンズワルトDEFEAT。世界へ解き放たれる前に与えられた名前に如何なる意味や願いがあるのかなど知らない。
それでも与えられた名前には自負があった。だから理解できない。
自分はオメガモンではないらしい。
自分に討たれた誰もが違うと言うのだから違うのだろう。
では。
英雄とは。
オメガモンとは。
果たして何なのだろう──?
【アカシック・レコード】
或る夏の日~Summer Days~
【執行者】
夏が来た。
「ウォーグレイモン!」
「メタルガルルモン!」
それは少年だったか、少女だったのか。
誰もが夢を諦めるこの時代。
誰もが絶望しか持てなかった時代。
そこに舞い降りた光は果たして人間の子供であり、そして彼らと共に戦うパートナーデジモンだった。当初は微弱そのものでしかなかったはずのその光は溶け合い、そして混じり合い、幾度の困難を奇跡の如く切り抜けた果てに世界を覆う闇に挑んだ。彼らが挑んだのが魔王のように明確な意思を持っていた敵なのか、ただそこに在る混沌だったのかは今ではわからない。
それでも明確なことがある。
黄金の竜戦士ウォーグレイモン。
紫紺の機械狼メタルガルルモン。
後に選ばれし子供と呼ばれる人間達と共に駆け抜けた彼らによって、世界の暗雲が打ち払われたこと。
そして。
勇気を剣に変えて。
友情を大砲として。
オメガモン。
善を、平和を求める人々の声こそが、そんな英雄を生んだこと。
コポコポと。
得体の知れない液体の中で揺蕩う己自身は、まるで海藻のように頼りなさげで。
「……完成したのか?」
「ええ、とりあえずそう言って構わないでしょう」
一人称は僕だったか私だったか俺だったか。
それすら定まらない自分のことを、覚束無い視界の中で二つの影が見上げていた。
思い出せない。
思い出せない。
何一つ思い出すことができない。
こうなる前の自分がどうだったのか。
かつての自分は如何なる意思を抱いていたのか。
「しかし上手く似せたもんだな、大したもんだぜ神サマもよ」
「……我らが神の技術の為せる業というものですね」
それは愚弄か。
それとも賞賛か。
どちらにせよ、自分は彼らにとっては望まれて生まれたもので。
世界にとっては生まれるべきでない邪悪らしいことは理解した。
「しかし俺っち達にはわからねえのよな。なんだって今更オメガモンもどきが要る? 下級デジモンの討滅なんざ俺っち達だけで十分だろうに、こんなカビの生えた英雄サマの姿に何を縋る必要があるってんだ?」
「……神の御心は手前どもには知り得ませんが」
オメガモン、その名を聞いた時。
酷く胸がざわついた気がした。
「それにしてもだクレニアムモンよ。先代があの魔王に不覚を取った所為で今やロイヤルナイツも俺っちとお前、それから隠遁しやがったお師匠サマだけってのは確かだ。始まりの町はもう無い、俺っち達が滅ぼした。なら神サマは何を恐れてる? こんな出来損ないを生み出したところで、やれることだって結局は単なる破壊と殺戮、俺っち達と何ら変わりないと思うがな」
「私見であれば語りますが……」
出来損ない。
カビの生えた英雄サマ。
外の世界、名も知らない二体の聖騎士の口によって、自らを定義できない自分の心に刻み込まれていく、世界の中での己の立ち位置。
「言ってみな。聞こうじゃねえか」
「恐らくこの世界は、オメガモンを必要としている。必須と言ってもいい」
「……どういうこった?」
「彼の聖騎士は単なる英雄、ロイヤルナイツの一体というだけには留まらない。……そもそも貴方は最後の聖騎士の物語を知っていますか、ドゥフトモン」
「そういや詳しくは知らねえな。とんでもねえ昔、魔王だか魔獣だかとの戦いで生まれたんだったか?」
ですね。髑髏の聖騎士は小さく首肯。
しかしそれが全てではないとも続けた。オメガモン、ロイヤルナイツの一人、世界を救った英雄サマ、そんな自分が似せられているらしい存在は、獣の鎧を纏う聖騎士が言う程度の簡素な英雄譚では語り切れぬ存在なのだと。
聞きたいと思った。
聞きたいと思った。
自分は何故その英雄を模した姿でいるのか。
自分はそもそも何者であったのか。
その答えがきっと、そこにはあると思ったからだ。
夏が来た。
「インペリアルドラモン!」
「受け取れえええええっ!」
声が響く。
それはきっと次代の選ばれし子供の声。
刀折れ矢尽きても終わらないと。
そこに確かに希望はあるのだと。
ただ虚無を以って押し寄せる巨獣の前に倒れた聖騎士は、その身を聖なるリングに置換させて皇帝竜を新たな高みへと導く。それはロイヤルナイツの始祖と呼ばれた古代竜人と等しい姿。聖騎士の力は、未だかつて誰も見たことの無かった古の存在を現代に蘇らせたのだ。
奇跡と言っていい。インペリアルドラモンパラディンモード、ロイヤルナイツの創始者と言われながら誰もその姿を見たことの無かった純白の竜人は、今この時を以って初めて世界に実在を果たした。
そしてそれを成したのはオメガモン。
一撃の下に巨獣を討滅した聖剣オメガブレードは、彼が生み出した産物。
その煌めきを前に誰もが悟る。
ロイヤルナイツの創始者であるはずの古代竜人の振るう得物が、後年になって現れる聖騎士団の一員から生まれたという矛盾から目を逸らし、ただ目の前で起こされた奇跡の輝きにだけ目を奪われて。
最後ではない。最後であるはずがない。
まだ可能性(さき)があるのだ。
オメガモンには更なる力が秘められているのだと。
世を乱す究極体を討て。
そう命じられて世界へと放たれた自分は、まさに鎖を外された猛獣でしかなかった。湧き立つような殺意と戦闘欲、そして何より僅かでも体を動かす度にパリパリとノイズが走る全身から襲い来る激痛に耐えかね、ただ闇雲に目に映る全てを破壊して殺戮して食害した。
それは圧倒的な力だった。
狼の砲塔から放たれる閃光を前に無事でいられる者などなく、竜の閃刃が煌めけば如何なるデジモンの肉体も次元ごと寸断される。
この停滞した世界など一人で制圧できるだろう全能感が、全身の痛みを微かにでも和らげる。打ち倒した他者をロードした瞬間の心地良さだけを求め、黒き外套を翻して世界を駆けるその姿は、いつしか誰からともなく呼ばれるようになる。
前触れ無く現れて命をただ刈り取る者。
執行者。
夏が来た。
「あれは……」
「オメガモンだ!!」
既にその名は伝説となっていた。
聖騎士はかつて打倒した混沌から生まれ落ちた残留思念を滅ぼすべく時空を超えて現れた。デジタルモンスターをよく知る子供達、自らを英雄と称える人間達の前に、彼はその姿を現した。
そう、英雄だ。その呼び名に一切の過分はない。誰もが憧れる聖騎士は時間を超え、空間を超え、誰もの憧れとして様々な世界に現れていく。
必然、派生した数多の世界の中で彼の英雄譚が増えていく。
誰も倒せぬ魔王を、堕した聖騎士を、デジモンとは生まれを異にする生命体を、如何なる敵をも神話の中に生きるオメガモンは打ち倒していく。だからその姿が人間だけでなく世界に生きるデジモン達にとっても憧憬の的となるのは当然であった。
いつしかオメガモンという存在は、それ自体を“個”として語り継がれるようになっていく。
大切な何かを忘れていることに、気付かないまま。
半身を消し飛ばされた力天使は、それでも減らず口を利き続けた。
「……見事、大した砲だ……」
岩山地帯は既に開けた平地となっている。
腹部に押し付けられた上で放たれたガルルキャノンは、果たして力天使クラヴィスエンジェモンの下半身を消し飛ばして余りある威力を見せ、辺り一面の景色を一変させてしまっている。
だから残ったのは胸から上だけ、爛れた翼でテケテケのように宙に浮きながら。
「でも君は……やはりオメガモンじゃないらしい」
嘲るような口調で告げる。
英雄ではない。
オメガモンではない。
お前は紛い物だと。
それに怒る心など持ち合わせていなかったけれど、それでも。
「がはっ……!」
漂う力天使の胸元に逡巡無くグレイソードを突き入れた。
デジコアを貫く確かな感触がある。間違いなく即死だろうに、クラヴィスエンジェモンの肉体は消滅を開始しなかった。上半身だけで、しかもグレイソードによって串刺しとなっているのに、剣の上を這うように力天使が迫ってくる。
恐怖はないはずだ。それでも次の言葉を聞いてはいけない気がした。
ゆっくりと顔を上げるクラヴィスエンジェモン。その眼前に突き付けるように掲げたガルルキャノンの銃口に光が集束する。
「──────」
仮面の下の天使の目が、こちらを確かに捉えていた。
自らを討滅する執行者を。
オメガモンズワルトDEFEATの姿を。
竜の剣と獣の砲で武装した英雄もどきを。
「……でもその剣と銃は、果たして本当に君の武器なのかな?」
消し飛んだ。
次の瞬間、クラヴィスエンジェモンの肉体は一片も残らず四散した。
夏が来た。
「エンシェントグレイモン……」
「エンシェントガルルモン……」
それでも。
そうだとしても。
数多生まれ落ちる英雄譚は、その実像を失わせる。
オメガモンという英雄の本質を見誤らせる。
何故ならオメガモンは“個”であると同時に“全”であるのだから。
オメガモンという“個”だけを見れば、そこにある“全”を見失い。
オメガモンという“全”に目を向ければ、彼を成す“個”を見誤る。
あるエリアで幻影のように復活したとされる古代の英雄は、それを示すかのように。
オメガモンという“個”だけを称える世界に警鐘を鳴らすかのように。
「復活したぁーっ!!」
高らかに嘶く。
勇ましく舞う。
自らに救いを求める者の声を受けて。
そう。
英雄とはそれ単体では完結し得ない。
何かを救った、何かを倒したという功績。
その偉業を称える誰かの声。
そして英雄自体を求める弱き者の叫び。
それら全てが合わさった時、英雄は立つ。
ウォーグレイモン。
メタルガルルモン。
彼らと共に戦う選ばれし子供。
そして世界に遍く誰しもの善への願い。
その内の一つが欠けた時点で、それは皆が英雄と称えるオメガモンではないのだから。
自分が巣立つより前。
あのクレニアムモンとドゥフトモンがオメガモンの伝承を語り合っていた日。
「……で、その人間サマやら願いやらの代替として与えられたのが」
「ブラックデジトロン……ですね」
相変わらずカプセルの中で泡立つ紛い物、後の執行者を見上げ、二体の聖騎士は語らう。
究極体のグレイモン種とガルルモン種を“器”の候補としてイグドラシル自らが選定し、両者の肉体を繋ぎ合わせた。しかしそれだけでは足りない、オメガモンとしては不完全だということを神もまた知っていた。だが世界の神たるイグドラシルであっても、人間やその生き物が抱える思いなどという不確かなものを生み出すことは不可能だったのだ。
故にこそ純粋に“個”としての力を高める道を選んだ。混入させれば莫大なパワーを得る代償に暴走の危険性も孕む希少分泌物ブラックデジトロン、それを以って肉体を構成することで、この紛い物の計算上の戦闘力は通常種のオメガモンを遥かに上回るはずだった。
クックックと乾いた笑いを漏らしたのはドゥフトモン。
「笑えねえ話だ。神サマは結局、オメガモンを“個”としてしか見てねえと見える」
「……そうでしょうか?」
それにクレニアムモンが異を呈する。
「あん?」
「確かに我らが神はオメガモンの価値を完全に把握しているとは言えない。しかし同時に酷薄なまでに見越しているのは間違いないと思いますよ。……この紛い物を世に放った時、下々のデジモン達がどう思うか」
「そりゃあ……」
ゾッとしない話だ。培養液の中に揺蕩う紛い物を見上げながらそう思う。
姿形こそオメガモンに近しい。だが全身のワイヤーフレームは強制ジョグレスと打ち込まれたウイルスプログラムによって酷く軋み、今にも崩壊しそうな危うさを孕んでいる。そんな肉体を覆い隠すように纏った外套はオメガモンのそれが醸す清爽さなど微塵も感じさせず、ただ禍々しさだけを漂わせる。
それはオメガモンであるが。
間違いなくオメガモンではない。
「……ちと悪いことしたかもしれねえな」
「悔やむのですかドゥフトモン。貴方らしくもない」
「そりゃあよ……ロイヤルナイツになりたいって騒いでたアイツを拉致ってきたのは、俺っちなわけだし」
クーレスガルルモン。この紛い物の“材料”になった黄金の獣戦士を思い浮かべる。
この姿に恐らく元となった彼の意思など何ら関与していない。イグドラシルが作ったこの紛い物はまさしくシステムだ。この姿である意味こそあれ、この姿となった当人達の心中を思い憚ることはない。
この紛い物はただ与えられた指令通り、強制ジョグレスと注入されたウイルスプログラムによる耐え難い苦痛から来る破壊衝動に従って暴れ回り、下々のデジモン達から憎まれることこそ役割だからだ。
皮肉な話だ。ロイヤルナイツになりたいと豪語していたあの片割れは。
お前なんか英雄じゃない。
お前なんかヒーローじゃない。
お前なんか、オメガモンじゃない。
世界中の誰からもそう憎まれる為だけの存在にされてしまったのだから。
「……名前」
「はい?」
「コイツの名前……何てんだ?」
だからせめて。
「ありませんよ、名前など。そもそもこれは下手をすればデジモンの定義からも──」
「オメガモンズワルトDEFEAT」
「え?」
「いいだろ、呼び名ぐらい無いと不便だ」
せめてそれだけを。
手向けとして。
夏が来た。
久方ぶりの平穏な季節。
戦いの中でオメガモンを語る数多の伝説が生まれ、受け継がれてきた。だがそれでも、いやだからこそ、ロイヤルナイツの一人として数えられ、紅の聖騎士と共に最大級の戦力を持つと謳われる最後の聖騎士は、十全な存在とは言い難い。
何故なら一個体として存在するオメガモンはウォーグレイモンとメタルガルルモンの融合した個体であったとしても、そこに平和を望む人々の願いはない。“個”として在るオメガモンは、当然オメガモンの“全”を備えてはいない。
だからシステムなのだ。
ロイヤルナイツと呼ばれる神、イグドラシルに仕える十三体の聖騎士。その座に在るオメガモンとは、神に使役される端末でしかない。
人間などに、選ばれし子供なる存在に頼らずとも世界を守れるとして君臨するロイヤルナイツの中核たるオメガモン、そして聖騎士団の始祖たるインペリアルドラモンパラディンモード。それらの誕生こそに人間が関わっているという矛盾は、世界が人間の介入を拒めば拒むだけ歪みを大きくしていく。
誰もが気付いているのだ。この世界は人間との関わり無くしては十全でいられないと。
それでも蓋をし続ける。善も悪も、天使も悪魔も、聖騎士も魔王も皆等しく、我らの世界は我らだけで運営すべきだという題目を掲げて。
オメガモン。
マグナモン。
デュークモン。
アルフォースブイドラモン。
ロイヤルナイツに属する多くの者達は、人間と共に戦った伝説を持つというのに。
何故か誰もがそこから目を逸らすのだ。
そうして世界は今日もまた、平穏そのものに流れていく。
得難い難敵が、生まれ始めていた。
ポツリ。またポツリと。
自分が戦えば戦うほどに、デジモン達もまた力を高めていく。自分の標的はいつしか究極体だけでなく完全体も含まれるようになっていたが、彼らもまた簡単に殺されるわけにはいかぬと多くの者が力を付け始めていた。確実に世界全体のレベルが上がっているだろうことが理解できた。
その中で自分もまた変わる。
獣の刃ガルルソード。
竜の砲グレイキャノン。
生まれ変わったどちらも劣らぬ必殺技は、放つ度にどこか懐かしい感覚があった。かつて打倒した力天使の遺した言葉の意味を、漠然と理解し始めていた。それは執行者ではなく、自分の元となった二体のデジモンの意識が再び宿り始めていたことに他ならない。
そしてそんな更なる力を得た自分にも対抗し得る強者が、世界には多く現れてきていた。
自分は単なる戦闘端末でしかない。世界を幽鬼のように彷徨い、ただイグドラシルから与えられた命令通り世界を圧迫する究極体を、完全体を狩ることを是とする執行者としてこの姿を得た。
しかし一撃で打倒できない強者が現れ始めた中、自分の胸に去来するのは僅かばかりの高揚感であった。とっくに失ったはずの心と意思に火が付くような感覚がある。誰をも容易く討ち取れるはずの力が通用せず、強者と鎬を削る瞬間にこそ自分がとっくに手放したデジモンらしさというものがある気がした。
『……やるね。そう来なくっちゃ面白くないよな──!』
かつて。
強者を前にそんな風に笑う自分がいて。
『オレサマはロイヤルナイツになる! その為にこの密林エリアはオレサマが頂いてやるぜ!』
そんな意思を持っていた自分がいた。
この姿にされて以来、破壊された二つの心は、戦えば戦うほどに蘇ろうとしている。
単なる殺戮では目覚めない。自分を倒し得るかもしれない猛者を前にした時、このデジタルモンスターから逸脱したはずの執行者の身と心は、確実にデジタルモンスターへと戻っていく。
だとしても。
オメガモンAlter-B。
自分は確実にオメガモンへと近付いていたけれど。
それでもまだ届かないことを、同時に知っていた。
夏が、来た。
「プロジェクトアーク……我らが神は新世界への移行を宣言した」
そして今、世界は平穏そのままに滅びの道へと進んでいる。
デジモンクロニクル、後の世にそう呼ばれる世界の衰退期は、その実デジタルワールドにとっては迎えるべくして迎えた、緩慢な滅亡への流れでしかない。秩序の崩壊とそれに伴うロイヤルナイツの粛清、そういったセンセーショナルな部分のみが語られる時代の真実は間違いなく別にある。
長く続いた平和により肥大化を続けたデジタルワールドは、やがて許容量を遥かに超えて口減らしを必要とし始めていた。
それでも尚、誰もが目を逸らし、気付かないフリをしていた。
きっと気付いた時にはもう手遅れになるだろうことすら理解していた。
やがて滅びの時が来たとしても目の前にある今が平和ならいいと、ただ穏やかに生きられればいいと疑わず、デジタルモンスターの世界は緩やかに衰退の途を辿っていた。平和な世界では弱肉強食の理も薄れ、都市部では戦闘欲以上に知識欲や探究心を刺激される人型のデジモンが増え始めていた。
一時期は当たり前に存在していた究極体は数を減らし、世界から戦いの音そのものが聞こえなくなる。
早急な対策が必要だった。
必要なのはデジタルモンスター達に戦闘欲を再び芽生えさせ、世界に弱肉強食の理を取り戻すこと。
そこで必要とされたのが、オメガモンだった。
デュナスモンでもロードナイトモンでもドゥフトモンでもなく。
エグザモンでもジエスモンでもクレニアムモンでもなく。
誰もが憧れ、誰もが魅せられ。
誰より強く、誰よりも可能性に満ちたデジモン。
そんな聖騎士をこそ、世界は必要としていた。
おかしな話だ。
オメガモンとは“個”では存在し得ないのに。
神が用意した“器”が酷似していようとも、それは決してオメガモン足り得ないのに。
だからきっと、神ですら目を逸らしている。
ウォーグレイモン、メタルガルルモン。
彼らは確かに音に聞こえた屈強な究極体だが、オメガモンを成すのはその二体だけではない。
勇気の剣と友情の大砲、それだけでは不完全なのだ。世界に希望を、光を齎す肉体はそれだけでは完成しないことに、デジタルモンスターもその神も気付かない。
選ばれし子供、そして彼らに救いを求める誰しもの声。
それらが揃って初めて、オメガモンは英雄として君臨するのだから。
そして多大なる犠牲を払ったクロニクルの果て。
遂にその時がやってくる。
「デクス……リューション」
それはデジモンですらない虚無の具現。
それはデジモンにとっての永遠の天敵。
デジタルモンスターの口減らしを続けたのも全ては奴の復活を阻止する為だった。だが果たしてイグドラシルのその試みは間に合わず、むしろ他でもない世界そのものがデジモンを喰らっているのだと認識された結果、世界の最奥にそれは現れた。
遍く世界を滅ぼす者。
今は亡き13体目のロイヤルナイツと起源を同じくする混沌。
この世界最大の危機を前に、ダークエリアやカーネルからも多くの猛者達が我こそはと名乗りを上げて挑むも次々と敗れ去り、やがて世界そのものを喰らわんと地上に姿を現した虚無の実体化を、誰かがこう呼んだのだ。
全てを死で包む者、Death-X。
果たしてDeath-Xが最初に現れた場所は見渡す限りの草原。
そこは多くの幼年期達が暮らしていた。
かつてクレニアムモンとドゥフトモンが滅ぼした始まりの町、その跡地。
平穏無事に育つはずの幼年期達は、始まりの町が無くなったことで生まれながらに過酷な戦いの世界に放り出される形となり、ロイヤルナイツが手を下さずとも死に絶え、数を減らすこととなっていた彼らだが、それでも逞しく生き延びていた幼年期達の前に、Death-Xはその姿を現した。
デジコアを喰う。その目的の為だけに稼働するDeath-Xにとって、幼年期は格好の餌であったから。
「うわああああああっ!」
逃げ惑う幼年期達。
だが山のような巨体を持つDeath-Xにとって、彼らなど人が蟻を踏み潰すよりも容易く捕らえられるだろう。
「グレイキャノン」
しかしDeath-Xの脇腹が煙を噴いた。濛々と立ち込める爆煙の中、幼年期達は舞い降りるその姿を目の当たりにする。
「オメガモン……いや、でも何か違う……!」
翻る黒き外套は、間違いなく彼らの憧れる英雄のそれではなかった。
数多くの完全体や究極体を討滅しているとされるロイヤルナイツの戦闘端末。
執行者、またの名をオメガモンAlter-B。
「ガルルソード」
獣の剣を振りかざして躍りかかる姿は、まるで幼年期達を守る為に現れたよう。
しかしオメガモンAlter-Bがこの場に現れたのは、決して正義感からでも義憤に駆られたわけでもない。彼は相変わらず究極体、あるいは完全体を打ち倒せという使命の下に動いており、定義の上では究極体とされるDeath-Xを倒さんとそれの前に舞い降りただけのこと。
「ガルルソード」
彼は鬨の声を上げることも裂帛の気合も無く、ただ淡々とDeath-Xに斬りかかる。
対するDeath-Xもまた無言。互いに意思も気迫も持たぬ両者の戦いは、ぶつかり合うエネルギーの奔流以外の一切の雑音の無い不気味なる死闘。幼年期達はそれに吹き飛ばされぬよう固唾を飲んで見守ることしかできなかったが。
「がっ……!」
苦悶。
Death-Xの爪が肩口を薙ぎ、オメガモンAlter-Bの口から初めて呻きの声が漏れる。
自分自身を内部から引き裂こうとするそれ以外、戦いの中で彼は痛みなど感じたことは無かった。自分と戦える者が生まれてきたとはいえ、オメガモン以上のパワーを持つとされる自分にダメージを与え得る者は今までいなかったからだ。
それを初めて味わった今、その存在が崩れ去るのは早かった。
「グレイキャノン」
通じない。Death-Xは無傷のまま再び爪を振るい、執行者を大地へと叩き付ける。
再びの痛み、それと同時に片腕のガルルソードは根元からへし折れた。
「グレイキャノン」
爪で抑え込まれた状態で放ったそれは、砲塔の中でエネルギーを逆流させ、執行者の左腕が肘先から消し飛んだだけの結果しか齎さない。
「あ、ああっ……」
幼年期達が息を呑む。そんな彼らの前にDeath-Xの爪から放り投げられた黒き聖騎士の細身が転がる。
既に左右の武器は使い物にならず、全身に走るノイズは生来のものなのか過度のダメージの蓄積によるものなのか、その判別さえ付かない。長らく世界を彷徨い続けた執行者は今ここに死する、それだけは明らかだったはずなのに。
「……なんで」
それでも撤退はない。撤退しようする意思がそもそもない。
それだけだ。
オメガモンAlter-Bが今ここにいるのは、本当にそれだけの理由なのだが。
「……れ」
声が聞こえた。
「……ばれ」
刀折れ矢尽きた自分を。
「……ばれ」
英雄でない自分を。
「……ん、ばれ」
ただ殺戮しか齎さなかった自分を。
「……がん、ばれ……!」
応援している声が。
自分の勝利を願っている声が。
視界が、開けていく。
全身のノイズと軋みが僅かに止んだ。
それが何を意味するのか、わからない。
紛い物なのに。
オメガモンではないのに。
ただの執行者なのに。
それでも今。
「頑張れ……!」
「頑張れ……!」
「頑張れ……!」
絶対的な混沌、世界を虚無で覆わんとする者に立ち向かう姿は、数多伝説に語られてきたそれに相違無いと。
「頑張れ!」
「頑張れ!!」
「頑張れ!!! オメガモン!!!!」
果たしてどこの誰かもわからない幼年期達。
実に取るに足らないデジモン。
吹けば飛んでしまうような弱者。
それでも。
そんな彼らが発した言葉こそが、最後のトリガーを引いた。
黒き体を光が覆う。自身を形成し、力を与えてきたと同時に蝕んできたブラックデジトロンから肉体が解き放たれていく。淀み続けた視界がクリアとなり、オメガモンAlter-Bと呼ばれた聖騎士は、今ここに初めて自らの足で地を踏み締めた。
認証コード、オメガモン。
最後の聖騎士に酷似しながら異なっていた個体。ブリッツグレイモンとクーレスガルルモン、かつてのウォーグレイモンやメタルガルルモンに伍する強者でありながら、間違いなく異なるデジモンを素材に使えばこそ、与えられた“器”こそオメガモンであってもそこから生まれる存在は絶対的に異であった。
人々の意思が二体の勇者と一つになった姿こそがオメガモンであったのなら。
如何にブラックデジトロンで補填しようと、素材であったデジモンが異なる上に人々の意思すら受け継いでいないデジモンはオメガモン足り得ない。
それが絶対の真実。
そのはずだった。
そのはずだった。
今、この瞬間までは。
「オメガモン」
「オメガモン」
「オメガモン」
誰もがそう呼ぶ。誰もがそう定義する。
それはオメガモンに似せた、だがオメガモンでない存在であった。
目にした全ての者がオメガモンではないと断言してきた。
しかし今、それを誰もがオメガモンと呼ぶ。
自分達を守る為にDeath-Xに敢然と挑むその姿を、ガルルソードは折れてグレイキャノンは焼け爛れた今も尚、決して退くこと無く立ち上がる後ろ姿を前にして、誰がその勇姿をオメガモンではないなどと言えようか。
「オメガモン!! 頑張れええええええええっ!!!!」
精一杯の叫び。勇者の勝利を願う幼年期達の願い。
それを受け、彼は変わる。
最初に記された伝説とは違う道を辿り。
皇帝竜に最後の聖剣を託したのとは逆に力を、願いを託され。
数え切れない時間も空間も超越して。
古代の竜と獣のようにそれぞれが英雄と称えられる二体を内包し。
ここにオメガモンが顕現する。皆の願いが形となる。
冴え渡る視界。もう彼の鎧は禍々しい黒ではなかった。
ブリッツグレイモンの砲塔。
クーレスガルルモンの大剣。
それは紛れもなく一つとなる前に彼が、彼らが持ち得た武具であり、それを取り戻した今こそ彼は十全たる聖騎士として世界に立つ。
故にその名をオメガモンAlter-S。
伝説の開祖たるオメガモンに伍するとも劣らない新たな聖騎士の誕生。
そう。
オメガモンとは願いだから。
願われれば、そこに在る。
ただそれだけの、至極単純な話だった。
「なあクレニアムモン」
「何でしょうか?」
「……お前、最初からこうなること、わかってたんだよな」
「さて……どうでしょうね。新たな英雄の誕生に立ち合えたのは歓喜だとは思いますが」
「……お前、完全体はアンドロモンだったか?」
「何年前の話ですか。……そうですね、その通りです」
「……何を専門にしてた?」
「ロイヤルナイツ。……取り分け、オメガモン」
オメガモンとは“個”ではない。
だが同時に“全”だけでもない。
言うなればそれは“器”だ。
そこには恐らく定型も基準もない。
勇気と友情を備え、世界に希望と光を齎す奇跡こそを、人はオメガモンと呼ぶ。
遍く世界の中で無数に語られる英雄譚、その中で奇跡を成す存在としてオメガモンは数多存在している。
だから。
夏が来る。
戦いは絶えない。Death-Xの脅威が去ってもデジモン達は戦い続けている。
世界が新たなる形に移行してもそれは不変の真理。
だからこそ、彼もまた現れる。
きっと誰かが望んだ時、季節が巡ると共に。
新しい英雄(オメガモン)が生まれることだろう──
(アカシック・レコード所属、アンドロモン・著)
【解説】
・オメガモンズワルトDEFEAT
・オメガモンAlter-B
・オメガモンAlter-S
・ブリッツグレイモン
・クーレスガルルモン
オメガモンを模して造られたロイヤルナイツの【執行者】。
この時代で数少ない究極体デジモンとして名を馳せていたブリッツグレイモンとクーレスガルルモンが、それぞれクレニアムモンとドゥフトモンに拉致されて強制ジョグレス、両者を繋ぎ止められる媒介として混入されたブラックデジトロンによって黒く染まっていた。
・クレニアムモン&ドゥフトモン
ロイヤルナイツの生き残り。スレイプモンの直弟子だが彼は隠遁した為、実質現在のロイヤルナイツは彼ら二人によって運営されている。粗暴で一人称“俺っち”なのがドゥフトモン、丁寧だがどこか酷薄なのがクレニアムモン。
クレニアムモンはロイヤルナイツの一員となる前、ある学会に属するアンドロモンとしてロイヤルナイツを研究していたらしい。
【後書き】
俺達が憧れたオメガモンとクロニクル以降のロイヤルナイツの一人として描かれるオメガモンは違う! そんな感じの作品を昨日思い付いたので、折角なので8月1日に間に合わせようと一気に書き上げさせて頂きました。
勿論サイバースルゥースのオメガモンみたいにロイヤルナイツの一員でありながら魅力的なオメガモンはいましたが、あれはノキアという人間との絡みがあればこそだよなぁと思うので、やっぱりデジタルモンスターの世界はデジタルモンスターだけで完結したら味気なく感じてしまうと思う派です。
何しろオメガモンは公式設定にハッカーとか利用しようとした悪人ではなく「善を望む人々の意思」とハッキリ人間の存在が示されているので、じゃあ人間が絡まず存在するゼヴォリューションやセイバーズ後半のオメガモンとは何なのさという点に主眼を置いた話となります。個人的には声優単独で喋るオメガモンの時点で「ウォーグレイモンとメタルガルルモンの意思はどこに行ったの!?」と思っちゃったりします。
8月1日、即ち夏ということで各作品(デジアドは本編が夏なので除外)の夏映画をモチーフとしていますが、書き終えてからディア逆は夏じゃねえと気付いてしまった。
オメガモンの亜種は今後も作られ続けるでしょうが、そこにも確かな意味はあるのだと信じて今回は筆を収めさせて頂きます。
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