3話
「キュ?」
ぴこん、と。兎の耳らしきものが揺れるのを、『扉』使用時の転移の衝撃で尻もちをついていたサリエラは確認した。
と同時に、
「寒っ」
突然の気候の変化に、少年の身体がぶるりと震える。
上着を着て行くよう昨晩から師と仰ぐ運びとなった女に言われ、実際その通りにはしていたのだが、予期せぬタイミングで頬を冷風に撫でられては驚いてしまうのも無理からぬ事で。
『ゾーン』間の移動も、まだ2度目なのだ。
とはいえ相変わらずサリエラのそういった反応を一々気にするような女でも無く、色こそモスグリーンに変わっているが機能自体は普段と変わらぬ作業着姿の彼女は、『扉』のすぐ先に在る建物の前に居る、耳――正確には、兎の耳に似た感覚器官――同様、全身が兎を模したマスコットキャラクターのような、マフラーとイヤーマフを付けた小柄で愛らしい印象の強いピンク色の『デジタルモンスター』――『キュートモン』の方へと歩み寄る。
女の姿を確認するなり、『キュートモン』はそのつぶらな黒い瞳の形を半円へと変化させた。
「珍しい客っキュね。いつ以来っキュか、半端者」
小さな口から飛び出してきた声音は低い男性の物で、立ち上がっている最中だったサリエラは思わず目を見開く。
女はふぅ、と息を吐くと
「何度でも言いますが、わたくしからすればあなた達の方が半端者なのですがね、『キュートモン』。まあいいです。……戸籍を用意してもらって以来なので、最後に直接会ったのは一昨年の秋でしょうか。とりあえず、息災のようで何より」
そう言って、握った杭と一緒に軽く左手を持ち上げる。途端、杭の方からも「久しぶり~」と間延びした声が発せられた。
「杭の坊ちゃんも相変わらずみたいっキュで。……で、半端者。今回はどんな厄介事をウチに持ち込む気っキュか?」
ちらり、と『キュートモン』は丸い瞳を女の背後へと動かす。
本人からしてみれば鋭い眼光を放っているつもりなのだが、姿が姿なだけに、サリエラは「兎がこっちを見ている」くらいの感想しか抱いていない。
「金銭を支払う用意をしてやって来た客に対して随分な口をききますね『キュートモン』」
「キュゥ? お客様は『神』様のつもりでいるのキュか半端者」
「……」
一瞬、押し黙って。
次の瞬間、女は少なくともサリエラには目視出来ない速度で、『キュートモン』の耳に似た感覚器官を右手で掴んで持ち上げる。
「兎って、切り株にぶつければ死ぬんでしたっけ?」
「試したいならオレの事は降ろして肉畑の隅の切り株でも見てろっキュ」
「あ~、なんかそんなお歌あったよね~。う~さ~ぎ~お~いしい~、か~のや~ま~」
「……。……やれやれ、坊ちゃんがこの調子じゃ、お前もまだまだっキュね半端者」
はぁ、と。
若干外れた音程でご機嫌に歌い続ける杭と引き続き『キュートモン』をそれぞれの手に、溜め息を付きながら女は振り返る。
幽かに凄んでいた女にサリエラはすくみ上がっていたのだが、彼女はやはり構わず、それこそ獲物を捕らえた狩人のように『キュートモン』を少年の前に掲げた。
「サリエラ。コレは『キュートモン』。『この世界』に存在する『理性持ち』の中では比較的目にする事が多い『怪物』ですから、覚えておくといいかもしれませんね。この個体の事は一々覚えずとも構いませんが」
名前に反して女がこの『怪物』を微塵も愛らしいと思っていない事だけはサリエラにも伝わってきた。
「……目にする事が多いって、どのくらい?」
「さあ? ……『キュートモン』は力こそ他の『怪物』に比べて弱いですが、繁殖……と言って良いかはさて置き、自分達だけで個体数を増やせるという唯一無二の特性がありましてね。今どれほどの数がこの『デジタルワールド』に存在しているのか、正確には定かでは無いのですよ」
「増える、の……?」
「ほら、兎って性欲が強いらしいじゃないですか。その関係じゃないですかね」
「……」
「別段増える目的でも無いのに年がら年中発情できる種族には負けるっキュよ人間」
「…………」
この人(?)達は一体真昼間からなんて会話をしているのだろうか。
というか、歌詞がわからなくなったのか、しかしハミングは未だ続けている杭は彼女達を止めてくれないのか。
そもそも自分はどうしてここに来たのだっけか。
様々な疑念が浮かび上がる中、サリエラはとりあえず、昨夜の出来事を振り返る。
*
夕食とデザートのケーキを食べ終えて。
猫舌なのかちびちびとだけ温かいココアを口に運びつつ、女は風呂場の続きを話し始めた。
「『デジタルワールド』は先にも述べた通り『怪物』の巣窟。生身の人間が簡単に処理できる相手ではありませんからね。対抗の手段が、必要でした」
「それがその……杭みたいな、『武器』ってヤツ?」
「そうなるね~」
サリエラの問いには、女では無く、間延びした声で杭が応えた。
「ぼく達『武器』はさ~、基本的には『デジタルモンスター』の一部なんだよね~。だから~『怪物』と同じように~、データを取り込むと強くなれるんだよ~」
「『進化』と、研究者連中は呼んでいましたね。幼年期Ⅰ・Ⅱ、成長期、成熟期、完全体、究極体。これらが『怪物』の成長の区分で、後に述べたモノ程強いと考えた方がいいでしょう。……そんな『彼ら』の所持品や身体の一部を人間用に加工したもの、それが『この世界』における『武器』です」
そう言って、女は机の端に置いた杭を左手の人差し指でとんとんとつつく。
杭が度々述べている「食事」というのは、つまり『怪物』達が成長するための行為と同じものなのかと、サリエラはじっと彼を見つめた。
「というか、『デジタルワールド』の探索者なんてその大半が『武器』目当てなんですよサリエラ。人の世界に存在する大概の武具よりも強力で、なおかつ容量さえあればパソコンの中に入れて簡単に持ち運びができる兵器、それが『武器』です。……まあ、その容量を馬鹿みたいに食う上完全な形でのリアライズには未だ成功の兆しすら無いそうなので、実用化にはこれっぽっちも目途が立っていないのが現状だそうですが……だからこそ、今はまだ研究材料として『武器』には価値があり、求める者が後を絶たないという訳です」
「……なあ、そんな話、俺にするって事は、さ」
「当然、貴方にも持ってもらいますよ、サリエラ」
少年は眉をひそめる。
今の説明を聞いて『武器』を持ちたいと言える程のんきな神経は、いくらサリエラが年頃の青少年とはいえ持ち合わせてはいない。
興味が皆無と言えば嘘にはなるが、女が『怪物』を杭で突き穿ち叩き切る姿を見てまだ数時間も立っていないのだ。危険度の方が、脳にこびりついている。
流石に女もサリエラが難色を示している事は感じ取ったようだ。
ココアの続きをわずかに啜り、彼女は小さく息を吐く。
「最初に言ったでしょう、そもそもは『この世界』での自衛の手段だと。貴方が無抵抗に『怪物』に嬲り殺されたい趣味嗜好の持ち主だと言うのならば口出しはしませんが、そうで無いならば悪い事は言いません。『武器』をお持ちなさい」
「でも……」
「大丈夫だよ~、『怪物』がいっぱいいるように~、『武器』にだって色んな種類があるからね~。サリエラに合うのもきっと見つかるって~」
そういう問題では無いのだけれど、と思いはするものの、選り好みをしていられない事自体は彼も承知している。
女が『怪物』相手に平気で立ち回る姿を見たように、少年は『怪物』が自分ではどうしようもない相手だという事実も経験済みだ。
「わかったよ」
ただ、と、サリエラは続ける。
懸念は次から次へと、尽きる事が無さそうだった。
「元々は『怪物』の持ち物なんでしょ? 『武器』って。……どうやって手に入れて、どうやって試す気?」
「ご安心を、サリエラ。わたくしも無力な貴方を観光に連れ回す気はありません。何より」
「『怪物』は丸ごと食べたいからね~、ぼく~」
「……という訳です。なので、アレですね」
「アレ?」
「明日はショッピングに出かけましょう」
「ショッピング」
場違いな単語だと、サリエラは思った。
顔に出たその感情に対して、女は頷く。
「言ったでしょう。需要があるんです、『武器』は。故に、それを商売にしている『理性持ち』が居ましてね。明日はそこに出かけます」
「『理性持ち』って事は……『怪物』? 『怪物』が、商売? 大丈夫なの?」
「他にやってる人間も『怪物』もいないから~、大丈夫だとも~大丈夫じゃないとも~言えないかな~」
「相当のモノ好きという意味では、あんまり頭大丈夫じゃないのかもしれませんけどね」
サリエラは一気に不安になった。
もちろん、彼の不安が女の決めた次の日の予定を覆す事など、有りはしないのだが。
「その『理性持ち』というのは――」
*
「おうおう。そろそろ放してやってくれよ、我らが『選ばれし子供』ちゃん」
背後から響いた全く予期せぬ男性の声に、思わずサリエラはその場で跳ねた。
それが相当可笑しかったらしい。直後、サリエラの前へと回ってきた『怪物』はくつくつと笑いを漏らしながら、肩を震わせていた。
歩くたびに、それまで全くしなかった筈の、金属同士がこすれ合う音が冷たい空気を揺らしている。
「兎を食べる時は皮を剥くんでしたよね」
「ワイヤーフレームしかねえっキュよこの下は」
「食べるならぼくは丸ごと食べたいかな~、皮が一番栄養が多いんでしょ~?」
「オレを果物か何かと勘違いしてないキュか坊ちゃん」
「ほれ、無視だよ。嫌になっちまうよな」
『怪物』は呆然とするサリエラに、同意を求める。
口調は親しげで、事実『ソレ』には敵意も何も無かったが――存在そのものが纏う威圧感に、サリエラは何も口をきけないでいた。
暗い銀と紫の甲冑を纏った、大きなランスと大きな円盾を持つ背の高い騎士の『怪物』――究極体の『理性持ち』は、そんなサリエラを見下ろし、肩を竦める。
「まあた、おもしろいもん見つけてきたなぁ、『選ばれし子供』ちゃんのヤツ。坊主、名前は? ……え? ああ、この『カオスデュークモン』? そうだよな。名前を聞く前に名前を名乗るのが筋ってもんだよな。そりゃそうだ。この『カオスデュークモン』もそう思う。この『カオスデュークモン』の名前は――」
「『カオスデュークモン』。そっちで油を売る前に半端者にオレを放すよう言うっキュ」
「おいおいおいおい、先に言ってくれるなよ『キュートモン』、この『カオスデュークモン』、今自己紹介のまっ最中だったんだぜ? まあ大目に見てくれや。この『カオスデュークモン』も「放してあげて」ってもう言ったよって言葉はグッと飲み込むからさ。それにほら、この『カオスデュークモン』の名前が解らないと坊主も不便だろうと思ったんだよ」
「鬱陶しいくらい既に名乗ってるキュ」
「鬱陶しいくらい口にしていましたよ」
「鬱陶しいくらい言ってたね~」
「……ミンナ、ナカヨシ、ダネー」
どことなく哀愁を漂わせ、肩を落とす『カオスデュークモン』。女はふんと鼻を鳴らした。
「いいですか『カオスデュークモン』。この世に自分の名前を一人称にして許されるほどの逸材なんてわたくしの可愛い赤ずきんちゃんしかいないのです。おやめなさい。本気で似合っていませんよ」
「やめられるもんならこの『カオスデュークモン』だってそうしたいんだがねぇ。こればっかりはどうにも『デジコア』の方に刻まれてるらしくって――いやまあ、それよりもだな、『選ばれし子供』ちゃん」
女は『カオスデュークモン』が何かを言いかける前に、『キュートモン』を地面に下ろした。
「あなたを怒らせたくはありませんからね。『カオスデュークモン』。このくらいにしておきますよ。……ただ、部下の教育にはもう少し力を入れた方が良いかと」
「とりあえず敬語喋っとけばOKと思ってるオマエに言われたくないっキュよ。キュん、オマエ単体なら兎も角、オマエ達にしてみれば『カオスデュークモン』ごとき怖くもなんとも無いクセにっキュ」
「言わないであげて『キュートモン』。初対面の坊主も居るのにこの『カオスデュークモン』の株どんどこ下げるような事言わないであげて『キュートモン』。この『カオスデュークモン』、お前の上司。数少ない究極体。ドューユーアンダスタン?」
「ああ、そうっキュ。自己主張が薄いからすっかり忘れてたっキュよ。……何を連れてきたのキュか半端者」
上司だという割にかなり『カオスデュークモン』の主張を雑に無視しながら、改めて『キュートモン』はサリエラを睨む。
……やはりサリエラには、睨まれているという感覚はほとんど無いのだが。
「あ、えっと、俺は」
「サリエラだよ~。昨日ぼく達と知り合ったの~。狩人さんの弟子で~、ぼくのともだち~。お姉さんを探して『こっち』に来たんだって~」
「……」
杭に紹介の台詞を取られて。
しかしまあ、どう名乗ったものかと悩んだのも事実なので、この場合は杭に感謝するべきなのかと――サリエラは、かなり微妙な顔をして。
それを見て、『キュートモン』もサリエラの性質と言うか、立場と言うか、そういうものを何となく察したらしい。「半端者が、弟子をねぇ」と呆れたように呟いて、彼自身は鋭いつもりでいた目力を幾分か弱めた。
「まあ連れてきたヤツは兎も角、新規の客には違いないっキュ。相手はしてやるっキュよサリエラ。……ほら、何をぼさっとしてるっキュ『カオスデュークモン』。さっさと店を開けるっキュ」
「うん、こここの『カオスデュークモン』の店なんだけどね?」
「それから金を払うのはわたくしなのですが。とはいえ後半にはわたくしも同意ですよ『キュートモン』」
「はいはい、どうせこの『カオスデュークモン』は仕事の遅い『カオスデュークモン』ですよーっと」
「自覚はあるんだね~」
「……」
悲し気に目を細め、『カオスデュークモン』はがしゃがしゃと音を立てながらとぼとぼと歩き、『キュートモン』の背にそびえる丸太小屋のような建物の壁に持っていたランスを立てかけて、扉のノブに手をかける。
だが、それを引く前に振り返ったかと思うと、改めて、鎧と比べるとあまりにも明るい金色をした瞳をサリエラの方へと向け、緩やかに細めた。
「歓迎するぜ、新米探索者くん。ようこそ、この『カオスデュークモン』の『『カオスデュークモン』の武器屋』へ」
*
武器屋、という割に『『カオスデュークモン』の武器屋』の中は酷く殺風景で、唯一飾られている武器と言えば、改めて室内に持ち込んでから取り外した『カオスデュークモン』自身の所持品……あの大きなランスと円盾のみである。
とはいえ単純に立派ではあるそれらの装備品を、当初は思わず食い入るように見つめていたサリエラだったが――不意に『カオスデュークモン』と言葉を交わしていた女が振り返り「ああ、間違っても触らないように。溶けますよ」と声をかけてきて以来、彼は(真偽はともあれ)それらから距離を置いている。
何もかもにおっかなびっくり、という少年をにまにま目を細めて眺めながら、女との話を終えた『カオスデュークモン』はようやく、武器を求めている当人を、店の奥のカウンターから身を乗り出し、手招きする。
「坊主。『選ばれし子供』ちゃんから大体の話は聞いたぜ。まさか何の準備も無しにお姉さんをさがして『この世界』に飛び込んでくるたぁこの『カオスデュークモン』もびっくりだ。よしよし。飴ちゃんをやろう」
「あ、えっと……どうも……」
近寄るなり半ば強引に握らされた飴と『カオスデュークモン』を交互に見比べ、とりあえず頭を下げておくサリエラ。
『カオスデュークモン』は愉快そうにけらけらと声を上げた。
「本当に、『デジタルワールド』じゃぁあんまり見かけない、つまり長生きできないタイプだ! 面白いねぇ」
「キュ……『カオスデュークモン』」
「おっと失礼。如何せんこの『カオスデュークモン』も坊主みたいな客は初めてでな。うーむ。シメールならうまいこと相手してやれるんだろうが」
「シメール?」
唐突に出てきた単語にサリエラが首をかしげると、背後の女の手元から「あ~」と間延びした声が届く。
「そうだ~、そういえば居ないね~シメール~。どうしたの~?」
「……体調不良だと、この『カオスデュークモン』は聞いている」
「サボりですか」
「サボりだな」
ウチのもう1人の従業員キュと、女と『カオスデュークモン』のやり取りを見守っていたサリエラにキュートモンが耳打ちする。
1人だけ『怪物』の名前じゃないのかと少々引っかりはしたものの、すぐに赤ずきんの事が思い浮かんで、サリエラはそれ以上何も聞かなかった。
「ま、居ない奴頼ってもしゃーないしな。ほれ、坊主。ちょいと手を出しな」
「?」
言われるがまま手を出すサリエラ。
一々素直に従うのがよほど珍妙なのか、『カオスデュークモン』は軽く噴き出してから、カウンターの引き出しを開けて1枚のメモリーカードを取り出し、それをサリエラの手の平に置いた。
と――
「!?」
ずん、と。
飴を受け取った時と変わらない心づもりでいたサリエラの手を、予期せぬ重みがずしりと襲う。
結果、まあまあ鈍い音を立てて、サリエラはカウンターに手の甲をぶつける羽目になった。
衝撃で、メモリーカードがサリエラの感じた重みに反して軽やかに宙へと飛び出す。
「っ」
「悪い悪い」
『カオスデュークモン』が、メモリーカードが落ちるよりも前にそれを手甲の内に収める。
「試す様な真似をして、この『カオスデュークモン』は本当に悪かったと思っている」
「い、今のは……?」
「平均的な重さの『武器』キュね」
心底の呆れを込めて、キュートモンが『カオスデュークモン』の言葉を引き継ぐ。
「データを解凍して重さと見た目が合致するようにすればオマエにでも持てたかもしれないキュけど、今のでまともに持てないようじゃあオマエの膂力も底が知れるというモノキュ。加えて簡単に見た目に騙されるようじゃ、ハッキリ言って探索者にはまるで向いてないっキュね」
「う……」
「半端者の連れじゃなかったら適当にあしらってやる所だったっキュよ、まったキュ……」
そんな事を、言われても。
こちらは右も左もわからないのだ、と。しかし『キュートモン』が指摘しているのはまさに自分のそういうところだと、ただただサリエラはうなだれる事しか出来ない。
「キュん」と『キュートモン』は鼻を鳴らした。
「……なあ、『キュートモン』。流石に言い過ぎでね? 坊主この『カオスデュークモン』の『『カオスデュークモン』の武器屋』のお客さんだぜ? 解ってる?」
「客だから自分の身の丈を教えてやってるのっキュ。……ほら、『カオスデュークモン』。オマエもさっさと『手袋』なりなんなり出すっキュ。そのくらいなら、コイツにも多少は扱えるだろうキュよ」
「へいへい。全く、どっちが店主か解ったもんじゃねえや。……『選ばれし子供』ちゃん、ちょいとその坊主用に調節するから手伝ってくれや」
「はあ、まあいいですよ。では『キュートモン』、しばらくサリエラの相手をお願いします」
「え?」
「仕方ないキュね……ほら、サリエラ。こっちに来るっキュ」
「サリエラ~、また後ね~」と杭の声に送られて、サリエラは一度小屋の外に出される。
そのまま『キュートモン』の後ろについて店の裏手に回ると、そこには畑が広がっていた。
……最も、ずらりと生え揃っているのは植物ではなく、こんがりと焼けた骨付き肉なのだが。
「……え」
目をこすり、視界を改めようとするが、紺碧の瞳に映る景色は変わらない。
「なにコレ」
「……まさか肉畑を見るのも初めてっキュか。……ああ、いや、半端者の『宿』には無いんだったキュか。なら仕方が無いキュね」
呆然とするサリエラを他所目に、キュートモンは一番近くにあった、自分の半身程ある骨付き肉を畝から引き抜いて、畑の隅に在る籠へと投げ入れた。
肉が吸い込まれるように籠の中に消えていくのを見守ると、同じような作業を繰り返し始める。
2、3本が抜かれたあたりで、これは収穫作業なのだとサリエラは理解する。
「……手伝おうか?」
「そう思うなら言う前に手を動かすキュ」
「……」
キュートモンを真似て肉を引き抜いてみると、重さは恐らく見た目通りで、サリエラにも簡単に回収する事が出来た。
土から肉を引く、というのはあまりに異様な体験ではあったが、作業自体にはすぐに慣れ、数分もしない内に全ての肉が畑から姿を消す。
ふう、と『キュートモン』は息を吐き、額を拭った。
「やっぱり少しでもタッパのある奴がいると早いっキュね。……ほら、サリエラ。1つくれてやるキュ」
「え? わっ」
籠から入れたばかりの肉を取り出して、『キュートモン』はサリエラにそれを投げる。
どうにか受け止めた骨付き肉はほんのりと温かく、作業中も気にはなっていたあからさまに良い匂いが、サリエラの鼻孔をくすぐった。
朝食からそう時間が経っている訳では無いが。
魅力的では、あった。
「どうしたキュ? 食べないキュか? ……安心するっキュ。今更また騙したりはしないっキュ。そんな回りくどい事しなくても、お前くらい、オレ程度の『デジタルモンスター』でも簡単に殺せるキュからな」
「っ……」
「だからそれは、単純に畑仕事の報酬っキュよ。さっさと食べるっキュ。オレも食べるキュから」
そう言って新たに籠から肉を取り出し、それ以上は何も言わず、『キュートモン』は骨付き肉にかぶりつく。
兎に似た『怪物』が肉を歯で引き千切っている様子に思わず目を取られるサリエラだったが、流石に『キュートモン』の食べながらの目配せには気が付いて、自分も慌てて、肉に噛み付いた。
表面こそ少し硬かったが、じゅわりと広がる肉汁と香ばしい匂いは十分少年の食欲を刺激するもので、気が付けば、サリエラはあっという間に骨付き肉を平らげていて。
「……まあ」
けぷ。
小さなげっぷを挟んでから、大きく膨らんだ腹を摩り、同じく骨付き肉をただの骨に変えた『キュートモン』は軽く頷いた。
「そんな風に食欲があるなら、ひとまずは心配無さそうキュね」
「?」
「やる気だけはあると思ってやるっキュ。……だから、少しだけ、アドバイスもしてやるっキュ。弱者の先輩として、少しだけ、キュな」
「弱者……」
「見た目通り、オレは『デジタルモンスター』の中では弱い順から数えた方が早い存在キュ」
さっきも言ったキュけど、オマエよりは強いキュからな。そこは勘違いするなキュよ。と付け加えて。それから、『キュートモン』は話を続ける。
「この世界で弱い奴が生き残る方法は2つキュ。1つは、強い『理性持ち』に取り入る事。もう1つは、死に物狂いで自分より弱いやつを見つけて殺して、それを積み重ねて次の段階に『進化』する事キュ。まあオレとオマエは今のところ前者キュな。あの半端者と杭の坊ちゃんの機嫌を損ねない限りはまず死ぬことは無いキュ。そこだけは、安心していいっキュ」
サリエラは思い返す。
『怪物』を簡単に切り伏せる女の姿を。
……そう言えば、先程も『キュートモン』は、女と杭なら究極体である『カオスデュークモン』にも勝てると言っていなかったか。
もちろん、初めて目にした究極体が『カオスデュークモン』であるサリエラには、ピンと来ない話ではあったが――きっと異常な事なのだろうと、それだけは、なんとなしに、感じ取る。
「ただ『この世界』は――いや、厳密にはオマエらニンゲンの世界もそうなのかもしれないキュけど――『デジタルモンスター』、ニンゲン問わず、「弱い『理性持ち』は死んだ方が都合がいい」ように出来ているっキュ。それは、忘れない方がいいっキュ」
「都合がいい?」
「例えばオレが死ぬとするキュ。そうなると、オレの『理性持ち』としてのデータは一度分解されて、新しく生まれる別の『デジタルモンスター』にどこかで引き継がれるっキュ。……『理性持ち』を作った学者連中は、『理性持ち』の『デジタルモンスター』がどんどん増える事を望んでいたから――まあ、ひたすら弱いオレ達『キュートモン』に増殖能力があるって事は、つまり、そういう事なのキュよ」
一瞬間を置いて、『キュートモン』の言葉を噛み砕いて、理解して。
押し黙るサリエラに、また溜め息をひとつついて、きっと本人のためだと、『キュートモン』は小さな口をまた開く。
「姉を探していると言ったキュね。……正直、期待はしない方がいいっキュ」
「それは――うん。あんまり、してないんだ」
わざわざ、杭との話を教えたりはしなかったが、
サリエラはただ、力無く首を横に振る。
姉の生存はもう昨日の時点で絶望的だと判断している。むしろ彼に必要なのは、姉の死に対する、確信であり、末路についての詳細だった。
【キミのお姉さんは、この『鍵』を使った先の世界に居る】
『あの日』突然送られて来た差出人不明の手紙だけが、少年が唯一縋りつける、縁だったのだから。
「そうっキュか。……なら、いいっキュ」
彼にとって幸いな事に、『キュートモン』はサリエラの言い分を追求しなかった。
代わりに仕草自体は名前の通り愛らしく首を傾げて、困ったように、眉間に皺を寄せる。
「しっかし、妙に何かと世話を焼きたくなる子供っキュね、オマエは。『カオスデュークモン』もやたらと気にかけているっキュし……」
サリエラは思わず目を見開いた。
「杭も俺の事、「気になる」とか、そういう事言ってたんだ。「懐かしい」って、そんな風にも」
「杭の坊ちゃんが? キュウ……。……如何せん、オレは最初の『キュートモン』から数えて4世代目くらいらしいキュから、推測でしか言えないのキュが……ひょっとすると、オマエの姉はもしかしたら、『選ばれし子供』だったのかもしれないっキュね」
『選ばれし子供』。
『カオスデュークモン』が女を呼ぶ際に使っていた言葉だと、サリエラは半ば身を乗り出して『キュートモン』に迫る。
「さっきから気になってたんだけど、『選ばれし子供』って、何? 師匠、子供って言う程若く無いと思うんだけど」
「はぁ!?」
『キュートモン』の声が荒いだ事によって、結局、サリエラはむしろのけ反る事となるのだが。
「あんの半端者、ウチに『武器』買いに来たクセに『選ばれし子供』の話すらしてないっキュか!? ……あー、しないか……。アイツはそういうヤツっキュわ……」
「え、えっと……」
「おいサリエラ」
びしり、と『キュートモン』の小さな指がサリエラの方に向けられる。
「オマエが鍛えれば『デジタルワールド』内でなら最終的にあの半端者並に強くなれると思っているならその幻想は今すぐ捨てるっキュ」
「いや、流石に師匠みたいになれるだなんて思ってないけど……」
「そういう問題では無いキュ。『デジタルモンスター』をロードして強くなれるのは、オマエじゃなくて『武器』だけキュ。間違ってもウチの店の不具合じゃないっキュ。その辺勘違いするなキュよ」
店主を雑に扱う割に商売けはあるんだな。まくし立てる『キュートモン』に面食らったサリエラの頭には、混乱からかむしろ呑気な感想が浮かんでいた。
最も、そんな考えは、「よく聞けキュ」から『キュートモン』が紡いだ
「『選ばれし子供』というのは、『理性持ち』の『デジタルモンスター』にならなかったニンゲンの事キュ」
そんな言葉に、あっという間に、掻き消されてしまったのだが。
「……え?」
呆けるサリエラ。
『キュートモン』は、頭を抱えて天を仰いだ。
「あんの半端者……。サリエラ、オマエを疑っているワケじゃないっキュが、本当に、本当に何も聞いていないキュか?」
「えっ……と……」
注意深く、風呂場での説明を思い返す。
聞き漏らしは無かったかと詳細を思い出すほどに、あの場の熱気まで再現するように頬がまた熱を帯び始めたが、そこは、咄嗟に、両手で隠した。
「……」
――創世後動かなくなった『神』に代わって『この世界』を管理し始めた研究者達は、『怪物』に理性を与える研究を始め、それは概ね、上手くいきました。その結果のひとつがわたくしの愛しい赤ずきんちゃんであり――
「……『怪物』に理性を与える研究の副産物が自分だって、それは、確か、言ってた」
「嘘は言ってないキュがひどく言葉足らずっキュね……。サリエラ、アイツはそういうヤツっキュ。今の内に諦めておくキュ」
「『選ばれし子供』というのは、『怪物』の心臓部、『デジコア』を移植されて後も人間の姿形を保ち、しかし『怪物』の能力自体は引き継いだ存在の事ですよ」
文字通り、サリエラは跳ね上がった。
『キュートモン』の話に集中していたせいで、女の声は、全く意識の外から響いて来たのだ。
……最も、『キュートモン』の話に集中していなくてもおそらく結果は同じだったに違いなく、飛び上がりはしていないだけで、『キュートモン』の方も女の接近には気づいていなかったのだが。
「……そういう訳なので、一応、『怪物』ではないのですがね」
「サリエラが驚いているのはオマエに気配もクソも無いからキュ半端者」
「酷い言いようですね『キュートモン』。というか、わたくしから教える側的なキャラを取るのは止めていただけませんかね。わたくし、彼の師匠なんですよ?」
「そう思うなら、基本情報は前もって伝えておけキュ」
「いいじゃないですか、今教えたんですから」
話にならない、と眉間に幽かな皺を寄せる『キュートモン』。
サリエラの方はサリエラの方で、当然、聞きたい事も有りはしたが――
「ね~、狩人さん~。サリエラ呼びに来たんじゃないの~?」
――口に出すよりも早く、それは女の左手にある杭に、遮られる。
「おっと、そうでしたね。……サリエラ、こちら、貴方の『武器』です」
女は右手に握っていた物を、サリエラの方へと差し出す。
先程の事もあるので恐る恐る手を差し出そうとしたサリエラは、ふと、女の小指の先端に、ここに来た時は無かった筈の包帯が巻かれている事に気づく。
「師匠、小指、どうかした?」
「ん? ああ、ちょっとわたくしの爪を使ったので」
「は?」
「狩人さんの『デジコア』とは~近い種類の『怪物』のデータが使われてるとかで~、『武器』を人間用に改造するのに~都合が良かったんだって~」
「割と痛かったので、心して受け取って下さいね。サリエラ。……あ、わたくし今何だかとても師匠っぽい」
「……」
流石に引き気味の表情を隠す事も出来ないまま、サリエラはそれでも仕方なく、女の爪を使ったという『武器』を両手で受け取る。
『武器』という名称に反して、それは軽く、柔らかだった。
「……手袋……?」
「さっき言ったっキュよ」、と『キュートモン』。
黄色地にオレンジの縞が入った2枚の手袋には、確かに先に鋭い爪のような飾りがついているものの色は黒く、とても女の生爪を剥いだものが使用されているようには見えない。
手の平の側を見てみると、ぷっくりと丸い球体が付いていて、まるで猫になりきるためのパーティーグッズだと、これでは杭の方がまだよほど武器らしいと、サリエラはさらに首を傾けた。
「えっと、あの、師匠……これ? これが『武器』なの?」
「ええ」
頷いて、女はサリエラに背を向ける。
「今から使い方を教えるので、ついて来て下さい。『カオスデュークモン』が準備をしている筈です」
「サボってなかったらね~」
「この『カオスデュークモン』はサボってないぞ、この『カオスデュークモン』は!」と少々離れた所から声が飛んで来る。
「地獄耳キュね。見習いたいモンだキュ」と首を軽く横に振ってから、『キュートモン』も女の方へと歩き始めたのを見て、サリエラも慌てて後に続いた。
『『カオスデュークモン』の武器屋』の少し先、広場のようになっている場所で『カオスデュークモン』は待ち構えており、彼の隣には大きな丸太が地面に2本、立てられていた。
「ほい。特訓用の丸太、設置しといたぜ」
「実質薪割りでは」
「その分お代は引いておくから」
「……」
女はぽりぽりと頬を掻いてから、サリエラの方へと振り返った。
「『手袋』は……まだですか。着けてみてくださいサリエラ」
言われた通り、手袋を装着するサリエラ。
着けてみると余計に「ただの手袋」感が強くなり、サリエラはますます腑に落ちない。
当然気にせず、女は怪訝そうなサリエラから視線を外すと、不意にファスナーを下ろし、作業着を脱いだかと思うとそのままそれを広げて地面に敷くように置いた。
「爪を使うなら『あっち』の方が良いと思うので……」
言いながら、白い半袖のTシャツ姿になった女は、作業着の上に杭を丁寧に置いた。
「杭ちゃん、すみませんが、しばらくその状態でいて下さいね」
「わかった~」
間延びした返事に満足そうに頷くと、立ち上がった女は丸太と向かい合う。
次の瞬間、音も無く、女の肌が静かに裂けた。
「!?」
何本もの藤色に光るひび割れが、露出した腕にうっすらと走る。
呆気に取られるサリエラの前で――女は左手を、振り上げた。
そのまま振り下ろした指先が丸太の表面を撫でるが否や、触れていない部分にまでびしりと亀裂が伸び、丸太は、綺麗に3つに分かれてそれぞれの方向に倒れていった。
「……。……え?」
「ふぅ」
「狩人さん~、おつかれ~」
一息つくのと同時に、女の身体からひび割れが消える。
それから彼女は、振り返った。
「まあ、こんな感じでやってみて下さい」
「いや無理でしょ」
少年は真顔で呟いた。
「無理じゃないですよ」
「無理だって! っていうかそもそも今の」
「今のが『選ばれし子供』の能力っキュね。『選ばれし子供』は『デジタルモンスター』と同じように、進化が出来るのキュ」
戸惑うサリエラに、もはや慣れてきたのかジト目の『キュートモン』が解説を買って出る。
師匠ポジを自称する女はやや不服そうだったが、ひとまず杭の回収を優先したようだ。作業着に袖を通しながら、口を挟むような事はしなかった。
「さっき半端者も言ってた筈だキュ。『選ばれし子供』は、ニンゲンの姿のまま『デジタルモンスター』の能力を振るえる連中っキュと」
「だ……だったらなおの事、俺にあんなの……」
「それを可能にするのが、この『カオスデュークモン』の『『カオスデュークモン』の武器屋』の『武器』なのさ」
「べつにこいつの商品じゃなくても出来るキュけどね」
「……」
切なげに目を細めて――しかし、すぐに気を取り直して。
『カオスデュークモン』は、促すように、手の平をサリエラへと向けた。
「さ、やってみろよ坊主。「騙された」と思ってさ」
「……」
先の事を考えればあまりにも意地の悪い文句と、その後続いた杭からの「がんばれ~、サリエラ~」という間延びした応援に、背中を押されるというよりは退路を塞がれて、サリエラは直立した丸太の前に立つ。
一度だけ、両手にすっかりなじんだ手袋を見下ろして。
深呼吸を挟んで――構える。
女の取っていたものの見様見真似でしかなかったが、それがサリエラに出来る精一杯だった。
そのまま、彼は指をピンと伸ばして、黒い爪を丸太に向かって、振り下ろし――
まとめての感想になりますがご容赦を。
一話段階ではシビアな世界観で容赦ないタッグが殺伐なムーブしていて倫理観がずれている物語かと思ったところで、金髪イケメンとのボーイミーツガール。おねショタの波動を感じる……
二話で混浴は波動が強すぎて計測値がオーバーフローしました。謎シチュで説明される殺伐な世界観の理由と衝撃の告白。告げる側も受け止める側も異常にドライでもそれを受け入れてしまう説得力は凄いです。
師弟関係というアップデートを果たしたうえでの三話では低温ボイスのキュートモンとかいうギャップの塊と自己主張の塊『カオスデュークモン』から武器を受け取るということで、少年が今後観光という経験を経てどうなっていくのか。怖くもあり気になります。
そして選ばれし子供の真実と狩人さんの正体。半端者とはよく言ったものです。……しかし、サリエラくんの姉は果たして何者なのか。……そして本当に既に杭の糧になっているのか。
では、これで感想とさせていただきます。